宮城道雄

雨夜の駅—– 宮城道雄

 雨のしとしと降っている夜であった。私は京都の駅で汽車を待っていた。親戚の若い人達が早くから来て場所を取ってくれていたが、それでも列の後の方であった。
 そこでは並んでいる人同士で汽車の混む話から、何処其処を何時に出るのが割合に空いているとか、あの汽車は混むとか、あの汽車は比較的早いとか、色々評をしている。その間にも外では、しきりに雨の音がしている。私はそれを聞いていて、また雨夜の汽車定めだと思った。
 私は待遠しいので時計を幾度も出してさぐった。余程時間が経ったつもりでさぐってみても十分位しかたっていない。するとすぐ前にいた人がのぞき込む様にして時計がわかるのか、盲人用の特別の時計かと尋ねたので、盲人用のもあるが、私は普通の時計をさぐって針の見当で三十秒までわかる。それ以上はさぐっている中に過ぎていくので困ると言いながら、私が時間をさぐり当ててみせると、成程と言った。先程からの声の様子では、三十を半ば過ぎたくらいの男の人であると思った。その人が、私に色々の話をした。自分は長らく胸の病になやんだので、あなたの様な不自由な人を見ると、一層気の毒に感じると言った。それから、私に幾つかと聞くので、齢を言うとそれにしては大変若く見えると言った。私は若く見えるといわれると、うれしい気がするのである。
 自分は子供の時以来、鏡を見たことがないので、眼明きの言うことを、真に受けてもよい様な気がして、今迄にも人から若く見えると言われると、そうかなと思って、自分の顔を撫でてみる。
 撫でるといえば、何時か或る彫刻家が、私の顔を彫ってくれたので、早速撫でてみると、でこぼこしている様に感じたので、これは私の顔に似ているかと家の者にたずねると、そっくりだといわれたのには案外に思ったことがあった。
 その人は、私は長生きをする様にと言った。そして、これからは段々医術が進んで来て、なおらぬ眼もあく様になるかも知れぬと言った。
 以前、たしかアメリカの話であったが、八十のお婆さんが、もう老いさきも短いからといって、自分の眼を片一方、或る盲人にあたえた。盲人はその眼と入れ替えて貰うと、片眼見える様になったとか、また動物の眼と入れ替ることも研究されているとかいう話であった。私も何か聞いたことのある様な気がした。
 それから、また或る国では、子供の何かの成分を老人に注射すると、段々若返って、百五十迄は生きられる様になる研究が進められているとか、私にとってはいずれも、耳よりの話であった。しかし私は、今はもう眼が明きたくないと思っている。それは自分が子供の時に見た月とか花とか、いろいろの景色も今も覚えていて美しく想像している。また私は何時迄も長生をしたいと思っているが、しかし寿命が来れば、何時何時でも安心して往きたいと思っている。
 私のただ一つの望みは、寿命の来る迄相変らず箏が弾ける様にと、そればかり願っている。
 こんなことを考えている中に、何かざわめいたと思うと改札が始った。その人は、親切に私をかかえる様にして階段をのぼらせてくれたが、列車が這入って来ると、混雑して、ろくにお礼も言わない中に、その人とはぐれてしまった。
 発車のベルの鳴る頃は降りしきる雨の音が一しきりはげしかった。夜中過ぎても私は眠れなかった。急ぎの作曲があったので、それを考えようとすると、隣りにかけていたおばあさんが小さい声で義太夫を語り始めた。そのうち、おばあさんは眠ったらしい。静かになったので、私はさっきの続きを考えはじめると、おばあさんが急に眼を醒まして、今度は三十三間堂のさわりを始めた。その声が誰にも聞こえない程小さいので、私にはそれが一層気になって仕事がはかどらなかった。
 朝東京へ著くと、早速夕べの人を探したがどうしてもめぐり会うことができなかった。

底本:「心の調べ」河出書房新社
   2006(平成18)年8月30日初版発行
初出:「古巣の梅」雄鶏社
   1949(昭和24)年10月5日
入力:貝波明美
校正:noriko saito
2007年12月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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