宮原晃一郎

賢い秀雄さんの話—宮原晃一郎

 日吉《ひよし》さんの秀雄《ひでを》さんは今年七つ。ほんとに賢い子供だ。毎日、ランドセルをせおつていきほひよく、
「いつてまゐります。」と、ごあいさつをして、家《うち》を出る。まつすぐに、道草なんかくはないで、さつさと学校へいつて、教室では先生のおつしやることを、よく聞いてゐて、よくそのとほりにするし、問はれたことには一番早く手をあげて、答をする。家へかへつては、よくおさらへをして、夜は早くねて、朝は早く起る。ほんとに好い子。賢い秀雄さんといふ名は、そこらでたれも知らぬものがないほどだ。
 ところが、此の賢い秀雄さんが、どうしたものか、一つ悪いくせをおぼえた。といふのは、いつかしら、うらの軒に立てかけてある梯子《はしご》をつたつて、屋根にのぼることであつた。
「あらまた、秀雄さん、屋根にのぼつてよ。あぶないから、いけません。早くお下りなさい。」
 お姉さんがはら/\しておつしやるけれど、賢い秀雄さんが、どうしたわけか、これだけはどうしてもいふことをきかない。
「うゝん、大ぢやうぶだよ。ぼく、ちやんとつかまつてるから……あんまりこはがると、かへつて、おちるものだつて、大工の熊《くま》さんがをしへてくれたよ。」
「それぢや、あんたも大きくなつたら、大工さんになるのね。」
「うゝん、ちがふよ。僕は空の荒鷲《あらわし》になるんだ。だから今のうちから、高いところにのぼつて、なれるんだ。『僕は少年航空兵』ほら来た。あれは複葉の偵察機だよ。」
 秀雄さんは、をりから飛んできた飛行機に両手をあげて、万歳をさけんでゐる。
 そのうち、お母さんも出ていらして、しきりに下りていらつしやいといつても、なか/\下りようとはしない。やつと、お母さん、気がついて、
「あゝよろしい、下りなけりや、下りないで、いつまでも、そこへいらつしやい。梯子はとつてしまひますから……」
と、おつしやると、これには秀雄さんも閉口して、やつとおりてきた。
「もう上れないようにしませう。」と、お母さんは、お姉さんと二人して、重い梯子を横にたふして、お置きになつた。
 ところが次の日曜日に、お姉さんが大きな声でさけんだ。
「あれ、秀雄さんが、また屋根に上ぼつてよ。どうして上ぼれたんでせう、梯子もかゝつてゐないのに……」
 そこで、お母さんが出て御覧になると、梯子はもとのまゝ、そこにたふしてあるのに秀雄さんはちやんと屋根の上にのぼつて、東の方を見てゐる。今日は観兵式の予行演習で、その方から、たくさんの飛行機がとんでくることを知つてゐるからだ。
「いけない、秀雄さん。あぶないわ、今梯子をかけてあげるから、早く下りてちやうだい。」
 下ではお母さんが心配して、梯子をかけようとさはいでいらつしやるが、秀雄さんは下りようとはしない。そこへ、お父さんが、よそからかへつていらつした。
「なに、秀雄が屋根に上がつた。よし/\うつちやつとけ。梯子なんかかけてやらんでもよい。梯子がなくてのぼれたら、梯子がなくても下りられやう。どれ、わしがいつて下ろしてやらう。」
 たうとうお父さんまでがお出かけだ。
 ちやうど、そのとき、飛行機が三機、五機と隊をくんで、空をとんで来たので、まちかまへてゐた秀雄さんは、万歳をさけんで、手をあげて、むちゆうになつてゐる。
 お父さんはそれを見ても、声をかけることをなさらなかつた。びつくりさしては、かへつておちるから、いけないと、お思ひなすつたのだ。
 でも飛行機がはるか向ふの空に見えなくなると、しづかに声をおかけになつた。
「秀雄、さあ、もうおりて来なさい!」
 秀雄さんは、ひどくしかられるかと思つてゐたのに、お父さんのお顔も、お声もあんぐわいやさしいので、安心して、そろ/\と、屋根のはじまで下りてきた。
 お父さんは、そのはじのところに、柿《かき》の木が屋根にくつゝいて立つてゐるのを見つけた。
「ハハア、秀雄は梯子をとられたので、あれをつたつて屋根に上ぼることを考へついたのだな。なか/\賢い。だが、むやみと屋根にのぼるのはあぶない。よし、少し、こらしめて、もう上ぼらないようにしてやらう。」
 はたして、秀雄さんは、柿の木が屋根へさしかけたうちの、一番大きな枝につかまつて、うまく柿の木の幹にうつり、だん/\と下りてきた。
 ちやうど、お父さんの手がとゞくところまでくると、お父さんは、片方の手で、秀雄さんの足をしつかりとおさへ、も一方の手でその足を二つ三つたゝいて、きびしい声でおつしやつた。
「こら、悪い、言ふことをきかない足、お前は賢い秀雄の足ではないだらう。こら、早く下りろ。でないと、これだぞ。」
 お父さんは又三つばかりたゝいた。秀雄さんはべそをかきかけたが、泣きはしなかつた。でも泣きさうな声で言つた。
「お父さん。それはぼくの足ですよ。僕の足、柿の実ぢやないから……」
「なんだ、柿の実ぢやない?」
「さうさ、柿の実ぢやないから、たゝいてもおちやしませんよ。」
 秀雄さんはこのあひだ、此の柿の実をとるのに、お母さんや柿さんたちが梯子をかけようといつてさわいでゐるとき、お父さんがきて、
「そんな、めんだうなことをしないでも、たゝけばいゝのだ。」と、いつて、竿《さを》でたゝいておおとしになつたことをおもひ出したのである。
 で、秀雄さんのこの言葉をきくとお父さんは思はず、笑へさうになつたのをわざとまじめな顔をしておつしやつた。
「いや、柿の木の枝にのつてゐるからには、柿の実にちがひない。それも、いふことをきかない、悪いしぶ柿だらう。煮てもやいてもくへないやつだ。かう、たゝかなけりやめつたに下へはこないやつだ。」
 お父さんはさういつて、又三つばかり秀雄さんの足をたゝいてから、やつと手をおはなしになつた。
 秀雄さんはそれでも泣かなかつた。けれども、やつと木から下りて、地へ足がつくとはじめて、わつと大きな声をあげて泣きだした。
 そこへ出ていらつしたお母さんがびつくりなさつて、
「おや、をかしいわね。もうおりてしまつてからなぜ泣くの。うたれたのは、木の上にゐるときだつたのに!」と、おつしやると、秀雄さんは首をふつて、
「うゝん、でも高いところで泣けば、涙で目が見えなくなつて、おりられなくなるもの。だから、ぼく、泣きたかつたけれど、がまんしてゐたの……」
 秀雄さんのいふことが、あまりにをかしいので、たうとうお父さんも笑つておしまひなすつた。そして、なほ、よく/\お父さんから教へていたゞいたので、もう秀雄さんは、けつして屋根に上ぼらなくなつた。尤《もつと》もそのかはりに、それからのち、近くの飛行場にゐるをぢさんところへ行つて、とき/″\ほんとの飛行機にのせていたゞいたから、屋根なんかへ上ぼるのは、もう少しも面白いことゝは思はれなくなつたのでもあつた。

底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「日本童話名作選」金の星社
   1940(昭和15)年3月
入力:tatsuki
校正:鈴木厚司
2005年12月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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