岡本綺堂

半七捕物帳 お文の魂—-岡本綺堂

        

 わたしの叔父は江戸の末期に生れたので、その時代に最も多く行はれた化物屋敷の不入《いらず》の間や、嫉み深い女の生靈《いきりやう》や、執念深い男の死靈や、さうしたたぐひの陰慘な幽怪な傳説を澤山《たくさん》に知つてゐた。しかも叔父は「武士たるものが妖怪などを信ずべきものでない。」といふ武士的教育の感化から、一切これを否認しようと努めてゐたらしい。その氣風は明治以後になつても失せなかつた。わたし達が子供のときに何か取留めのない化物話などを始めると、叔父はいつでも苦《にが》い顏をして碌々《ろくろく》に相手にもなつて呉れなかつた。
 その叔父が唯一度こんなことを云つた。
「併し世の中には解らないことがある。あのおふみの一件なぞは……。」
 おふみの一件が何であるかは誰も知らなかつた。叔父も自己の主張を裏切るやうな、この不可解の事實を發表するのが如何にも殘念であつたらしく、それ以上には何も祕密を洩さなかつた。父に訊《き》いても話してくれなかつた。併しその事件の蔭にはKのをぢさんが潜んでゐるらしいことは、叔父の口ぶりに因《よ》つて略《ほ》ぼ想像されたので、わたしの稚い好奇心は到頭《たうとう》わたしを促《うなが》してKのをぢさんのところへ奔《はし》らせた。私はその時まだ十二であつた。Kのをぢさんは、肉縁の叔父ではない。父が明治以前から交際してゐるので、わたしは稚い時から此人ををぢさんと呼び慣はしてゐたのである。
 わたしの質問に對して、Kのをぢさんも滿足な返答をあたへて呉《く》れなかつた。
「まあ、そんなことは何《ど》うでも可い。つまらない化物の話なんぞすると、お父さんや叔父さんに叱られる。」
 ふだんから話好きのをぢさんもこの問題については堅く口を結んでゐるので、わたしも押返して詮索する手がかりが無かつた。學校で毎日のやうに物理學や數學をどしどし詰め込まれるのに忙しい私の頭からは、おふみと云ふ女の名も次第に煙のやうに消えてしまつた。それから二年ほど經つて、なんでも十一月の末であつたと記憶してゐる。わたしが學校から歸る頃から寒い雨がそぼそぼと降り出して、日が暮れる頃には可なりに強い降りになつた。Kのをばさんは近所の人に誘はれて、けふは午前《ひるまへ》から新富座見物に出かけた筈である。
「わたしは留守番だから、あしたの晩は遊びにおいでよ。」と前の日にKのをぢさんが云つた。わたしはその約束を守つて、夕飯を濟ますと直ぐにKのをぢさんをたづねた。Kの家はわたしの家から直徑にして四町ほどしか距《はな》れてゐなかつたが、場所は番町で、その頃には江戸時代の形見といふ武家屋敷の古い建物がまだ取拂はれずに殘つてゐて、晴れた日にも何だか陰《かげ》つたやうな薄暗い町の影を作つてゐた。雨のゆふぐれは殊に侘《わび》しかつた。Kのをぢさんも或大名屋敷の門内に住んでゐたが、おそらく其の昔は家老とか用人とかいふ身分の人の住居であつたらう。兎《と》も角《かく》も一軒建になつてゐて、小さい庭には粗《あら》い竹垣が結びまはしてあつた。
 Kのをぢさんは役所から歸つて、もう夕飯をしまつて、湯から歸つてゐた。をぢさんは私を相手にしてランプの前で一時間ほども他愛もない話などをしてゐた。時々に雨戸を撫でる庭の八つ手の大きい葉に、雨の音がぴしやぴしやときこえるのも、外の暗さを想はせるやうな夜であつた。柱にかけてある時計が七時を打つと、をぢさんはふと話をやめて外の雨に耳を傾けた。
「大分降つて來たな。」
「をばさんは歸りに困るでせう。」
「なに、人力車《くるま》を迎ひにやつたから可い。」
 かう云つてをぢさんは又默つて茶を喫《の》んでゐたが、やがて少し眞面目《まじめ》になつた。
「おい、いつかお前が訊いたおふみの話を今夜聞かしてやらうか。化物の話はかういう晩が可いもんだ。しかしお前は臆病だからなあ。」
 實際私は臆病であつた。それでも怖い物見たさ聞きたさに、いつも小さい身體を固くして一生懸命に怪談を聞くのが好きであつた。殊に年來の疑問になつてゐるおふみの一件を測《はか》らずもをぢさんの方から切出したので、わたしは思はず眼をかゞやかした。明るいランプの下ならどんな怪談でも怖くないといふ風に、わざと肩を聳かしてをぢさんの顔を屹とみあげると、強ひて勇氣を粧ふやうな私の子供らしい態度が、をぢさんの眼には可笑く見えたらしい。彼はしばらく默つてにやにや笑つてゐた。
「そんなら話して聞かせるが、怖くつて家《うち》へ歸られなくなつたから、今夜は泊めて呉れなんて云ふなよ。」
 先づかう嚇《おど》して置いて、をぢさんはおふみの一件といふのを徐《しず》かに話し出した。
「わたしが丁度|二十歳《はたち》の時だから、元治元年――京都では蛤御門《はまぐりごもん》の戰《いくさ》があつた年のことだと思へ。」と、をぢさんは先づ冒頭《まくら》を置いた。
 その頃この番町に松村彦太郎といふ三百石の旗本が屋敷を持つてゐた。松村は相當に學問もあり、殊に蘭學が出來たので、外國掛《がいこくがかり》の方へ出仕《しゅつし》して、鳥渡《ちょつと》羽振の好い方であつた。その妹のお道といふのは、四年前に小石川西江戸川端の小幡《おばた》伊織といふ旗本の屋敷へ縁付いて、お春といふ今年三つの娘まで儲けた。
 すると、ある日のことであつた。そのお道がお春を連れて兄のところへ訪ねて來て、「もう小幡の屋敷にはゐられませんから、暇を貰つて頂きたうございます。」と、突然に飛んだことを云ひ出して、兄の松村をおどろかした。兄はその仔細を聞き糺《ただ》したが、お道は蒼い顔をしてゐるばかりで何も云はなかつた。
「云はないで濟む譯《わけ》のものでない、その仔細をはつきりと云へ。女が一旦他家へ嫁入りをした以上は、むやみに離縁なぞすべきものでも無し、されるべき筈のものでもない。唯だしぬけに暇を取つてくれでは判らない。その仔細をよく聞いた上で、兄にも成程と得心《とくしん》がまゐつたら、又掛合ひのしやうもあらう。仔細を云へ。」
 この場合、松村でなくても、先づかう云ふより外はなかつたが、お道は強情に仔細を明かさなかつた。もう一日もあの屋敷にはゐられないから暇を貰つてくれと、今年二十一になる武家の女房がまるで駄々つ子のやうに、たゞ同じことばかり繰返してゐるので、堪忍強い兄もしまひには悶《じ》れ出した。
「馬鹿、考へてもみろ、仔細も云はずに暇を貰いに行けると思ふか。また、先方でも承知すると思ふか。きのふや今日《けふ》嫁に行つたのでは無し、もう足掛け四年にもなり、お春といふ子までもある。舅《しうと》小姑《こじうと》の面倒があるでは無し、主人の小幡は正直で物柔かな人物。小身ながらも無事に上《かみ》の御用も勤めてゐる。なにが不足で暇を取りたいのか。」
 叱つても諭《さと》しても手堪《てごた》へがないので、松村も考へた。よもやとは思ふものゝ世間にためしが無いでもない。小幡の屋敷には若い侍がゐる。近所|隣《となり》の屋敷にも次三男の道樂者がいくらも遊んでゐる。妹も若い身空であるから、もしや何かの心得違ひでも仕出來《しでか》して、自分から身を退かなければならないやうな破滅に陥つたのではあるまいか。かう思ふと、兄の詮議はいよいよ嚴重になつた。どうしてもお前が仔細を明かさなければ、おれの方にも考へがある。これから小幡の屋敷へお前を連れて行つて、主人の目の前で何も彼も云はしてみせる。さあ一緒に來いと、襟髪《えりがみ》を取らぬばかりにして妹を引き立てようとした。
 兄の權幕《けんまく》があまり激しいので、お道も流石《さすが》に途方に暮れたらしく、そんなら申しますと泣いて謝つた。それから彼女が泣きながら訴へるのを聞くと、松村は又驚かされた。
 事件は今から七日前、娘のお春が三つの節句の雛を片附けた晩のことであつた。お道の枕もとに散らし髪の若い女が眞蒼な顔を出した。女は水でも浴びたやうに、頭から着物までびしよ濡れになつてゐた。その物腰は武家の奉公でもしたものらしく、行儀よく疊に手をついてお辭儀してゐた。女はなんにも云はなかつた。また別に人を脅かすやうな擧動も見せなかつた。たゞ默つておとなしく其處《そこ》にうづくまつてゐるだけのことであつたが、それが譬《たと》へやうもないほどに物凄かつた。お道はぞつ[#「ぞつ」に傍点]として思はず衾《よぎ》の袖に獅噛《しが》み付くと、おそろしい夢は醒めた。
 これと同時に、自分と添寢をしてゐたお春も同じく怖い夢にでもおそはれたらしく、急に火の付くやうに泣き出して、「ふみが來た。ふみが來た。」と續《つづ》けて叫んだ。濡れた女は幼い娘の夢をも驚かしたらしい。お春が夢中に叫んだふみ[#「ふみ」に傍点]といふのは、おそらく彼女の名であらうと想像された。
 お道は悸《おび》えた心持で一夜を明した。武家に育つて武家に縁付いた彼女は、夢のやうな幽靈話を人に語るのを恥ぢて、その夜の出來事は夫にも祕してゐたが、濡れた女は次の夜にも又その次の夜にも彼女の枕もとに眞蒼な顔を出した。その度《たび》ごとに幼いお春も「ふみが來た」と同じく叫んだ。氣の弱いお道はもう我慢が出來なくなつたが、それでも夫に打ちあける勇氣はなかつた。
 斯ういふことが四晩もつゞいたので、お道も不安と不眠とに疲れ果てゝしまつた。恥も遠慮も考へてはゐられなくなつたので、たうとう思ひ切つて夫に訴へると、小幡は笑つてゐるばかりで取合はなかつた。しかし濡れた女はその後もお道の枕邊《まくらべ》を去らなかつた。お道がなんと云つても、夫は受付けて呉れなかつた。しまひには「武士の妻にもあるまじき」と云ふやうな意味で機嫌を惡くした。
「いくら武士でも、自分の妻が苦しんでゐるのを笑つて觀《み》てゐる法はあるまい。」
 お道は夫の冷淡な態度を恨むやうにもなつて來た。かうした苦しみがいつまでも續いたら、自分は遲かれ速かれ得體《えたい》の知れない幽靈のために責め殺されてしまふかも知れない。もう斯うなつたら娘をかゝへて一刻《いつとき》も早くこんな化物屋敷を逃げ出すよりほかはあるまいと、お道はもう夫のことも自分のことも振返つてゐる餘裕がなくなつた。
「さういふ譯でございますから、あの屋敷にはどうしてもゐられません。お察し下さい。」
 思ひ出してもぞつとすると云ふやうに、お道は此話をする間にも時々に息を嚥《の》んで身ををのゝかせてゐた。そのおどおどしてゐる眼の色がいかにも僞りを包んでゐるやうには見えないので、兄は考へさせられた。
「そんな事がまつたくあるか知らん。」
 どう考へてもそんなことが有りさうにも思はれなかつた。小幡が取合はないのも無理はないと思つた。松村も「馬鹿をいへ」と、頭から叱りつけてしまはうかとも思つたが、妹がこれほどに思ひ詰めてゐるものを唯一概に叱つて追ひやるのも何だか可哀想のやうでもあつた。殊に妹はこんなことを云ふものの、この事件の底にはまだ他になにかこみいつた事情が潜んでゐないとも限らない。いづれにしても小幡に一度逢つた上で、よくその事情を確かめてみようと決心した。
「お前の片口《かたくち》ばかりでは判らん。兎もかくも小幡に逢つて、先方の了簡を訊いてみよう、萬事はおれに任しておけ。」
 妹を自分の屋敷に殘して置いて、松村は草履取一人を連れて、すぐに西江戸川端に出向いた。

        

 小幡の屋敷へゆく途中でも松村は色々に考へた。妹はいはゆる女子供のたぐひで固《もと》より論にも及ばぬが、自分は男一匹、しかも大小をたばさむ身の上である。武士と武士との掛合ひに、眞顔になつて幽靈の講釋でもあるまい。松村彦太郎、好い年をして馬鹿な奴だと、相手に腹を見られるのも殘念である。なんとか巧い掛合の法はあるまいかと工夫《くふう》を凝らしたが、問題が、あまり單純であるだけに、横からも縦からも話の持つて行きやうがなかつた。
 西江戸川端の屋敷には主人の小幡伊織が居あはせて、すぐに座敷に通された。時候の挨拶などを終つても、松村は自分の用向を云ひ出す機會を捉へるのに苦しんだ。どうで笑はれると覺悟をして來たものの、さて相手の顔をみると何うも幽靈の話は云ひ出しにくかつた。そのうちに小幡の方から口を切つた。
「お道は今日御屋敷へ伺ひませんでしたか。」
「まゐりました。」とは云つたが、松村はやはり後の句が繼《つ》げなかつた。
「では、お話し申したか知らんが、女子供は馬鹿なもので、なにか此頃《このごろ》幽靈が出るとか申して、はゝゝゝゝ。」
 小幡は笑つてゐた。松村も仕方がないので一緒に笑つた。しかし、笑つてばかりゐては濟まない場合であるので、彼はこれを機《しほ》に思ひ切つておふみの一件を話した。話してしまつてから彼は汗を拭《ふ》いた。かうなると、小幡も笑へなくなつた。かれは困つたやうな顔を皺《しか》めて、しばらく默つてゐた。單に幽靈が出るといふだけの話ならば、馬鹿とも臆病とも叱つても笑つても濟むが、問題が斯《か》う面倒になつて兄が離縁の掛合ひめいた使に來るやうでは、小幡も眞面目になつてこの幽靈問題を取扱はなければならないことになつた。
「なにしろ一應詮議して見ませう。」と小幡は云つた。彼の意見としては、若しこの屋敷に幽靈が出る――俗にいふ化物屋敷であるならば、けふまでに誰かその不思議に出逢つたものが他にもあるべき筈である。現に自分はこの屋敷に生れて二十八年の月日を送つてゐるが、自分は勿論のこと、誰からもそんな噂すら聞いたことがない。自分が幼少のときに別れた祖父母も、八年前に死んだ父も、六年前に死んだ母も、曾《かつ》てそんな話をしたこともなかつた。それが四年前に他家から縁付いて來たお道だけに見えるといふのが第一の不思議である。たとひ何かの仔細があつて、特にお道だけに見えるとしても、こゝへ來てから四年の後に初めて姿をあらはすといふのも不思議である。併しこの場合、ほかに詮議のしやうもないから、差當つては先づ屋敷中の者どもを集めて問ひ糺《ただ》してみようと云ふのであつた。
「何分《なにぶん》お願ひ申す。」と、松村も同意した。小幡は先づ用人《ようにん》の五左衞門を呼び出して調べた。かれは今年四十一歳で譜代の家來であつた。
「先《せん》殿様の御代《おだい》から、曾《かつ》て左様な噂を承はつたことはござりませぬ。父からも何の話も聞き及びませぬ。」
 彼は即座に云ひ切つた。それから若黨《わかたう》や中間《ちゆうげん》どもを調べたが、かれらは新參の渡り者で、勿論なんにも知らなかつた。次に女中共も調べられたが、彼等は初めてそんな話を聞かされて唯|顫《ふる》へ上るばかりであつた。詮議はすべて不得要領に終つた。
「そんなら池を浚《さら》つてみろ。」と、小幡は命令した。お道の枕邊にあらはれる女が濡れてゐるといふのを手がかりに、或は池の底に何かの祕密が沈んでゐるのではないかと考へられたからであつた。小幡の屋敷には百坪ほどの古池があつた。
 あくる日は大勢の人足をあつめて、その古池の掻掘《かいぼり》をはじめた。小幡も松村も立會つて監視してゐたが、鮒や鯉のほかには何の獲物もなかつた。泥の底からは女の髪一筋も見付からなかつた。女の執念の殘つてゐさうな櫛や笄《かんざし》のたぐひも拾ひ出されなかつた。小幡の發議で更に屋敷内の井戸を浚《さら》はせたが、深い井戸の底からは赤い泥鰌《どぜう》が一匹浮び出て大勢を珍しがらせただけで、これも骨折損に終つた。
 詮議の蔓はもう切れた。
 今度は松村の發議で、忌《いや》がるお道を無理にこの屋敷へ呼び戻して、お春と一緒にいつもの部屋に寢かすことにした。松村と小幡とは次の間に隱れて夜の更けるのを待つてゐた。
 その晩は月の陰《くも》つた暖かい夜であつた。神經の興奮し切つてゐるお道は迚も安らかに眠られさうもなかつたが、なんにも知らない幼い娘はやがてすやすやと寢ついたかと思ふと、忽ち針で眼球《めだま》でも突かれたやうにけたゝましい悲鳴をあげた。さうして「ふみが來た、ふみが來た。」と、低い聲で唸つた。「そら、來た。」
 待構へてゐた二人の侍は押取刀で矢庭《やには》に襖《ふすま》をあけた。閉め込んだ部屋のなかには春の夜の生あたゝかい空氣が重く沈んで、陰つたやうな行燈の灯は瞬《またた》きもせずに母子《おやこ》の枕もとを見つめてゐた。外からは風さへ流れ込んだ氣配が見えなかつた。お道は我子を犇《ひし》と抱きしめて、枕に顔を押付けてゐた。
 現在にこの生きた證據を見せつけられて、松村も小幡も顔を見合せた。それにしても自分達の眼にも見えない闖入者《ちんにゆうしや》の名を、幼いお春がどうして知つてゐるのであらう。それが第一の疑問であつた。小幡はお春を賺《すか》して色々に問ひ糺《ただ》したが、年弱《としよは》の三つでは碌々に口もまはらないので些《ち》つとも要領を得なかつた。濡れた女はお春の小さい魂に乗|憑《うつ》つて、自分の隱れたる名を人に告げるのではないかとも思はれた。刀を持つてゐた二人もなんだか薄氣味が惡くなつて來た。
 用人の五左衞門も心配して、あくる日は市ヶ谷で有名な賣卜者《うらなひしや》をたづねた。賣卜者は屋敷の西にある大きい椿の根を掘つてみろと教へた。とりあへずその椿を掘り倒してみたが、その結果はいたづらに賣卜者の信用を墜《おと》すにすぎなかつた。
 夜はとても眠れないと云ふので、お道は晝間寢床にはひることにした。おふみも流石に晝は襲つて來なかつた。これで少しはほつとしたものの武家の妻が遊女かなんぞのやうに、夜は起きてゐて晝は寢る、かうした變則の生活状態をつゞけてゆくのは甚だ迷惑でもあり、且《かつ》は不便でもあつた。なんとかして永久にこの幽靈を追ひ攘《はら》つてしまふのでなければ、小幡一家の平和を保つことは覺束《おぼつか》ないやうに思はれた。併しこんなことが世間に洩れては家の外聞にもかゝはると云ふので、松村も勿論祕密を守つてゐた。小幡も家來どもの口を封じて置いた。それでも誰かの口から洩れたとみえて怪しからぬ噂がこの屋敷に出入りする人々の耳に囁《ささや》かれた。
「小幡の屋敷に幽靈が出る。女の幽靈が出るさうだ。」
 蔭では尾鰭《おひれ》をつけて色々の噂をするものの、武士と武士との交際では流石に面と向つて幽靈の詮議をする者もなかつたが、その中に唯一人、頗《すこぶ》る無遠慮な男があつた。それが即ち小幡の近所に住んでゐたKのをぢさんで、をぢさんは旗本の次男であつた。その噂を聽くと、すぐに小幡の屋敷に押掛けて行つて、事の實否《じつぴ》を確めた。
 をぢさんとは平生《へいぜい》から特に懇意にしてゐるので、小幡も隱さず祕密を洩らした。さうして、なんとかしてこの幽靈の眞相を探り究める工夫はあるまいかと相談した。旗本に限らず、御家人に限らず、江戸の侍の次三男などと言ふものは、概して無役《むやく》の閑人《ひまじん》であつた。長男は無論その家を嗣《つ》ぐべく生れたのであるが、次男三男に生れたものは、自分に特殊の才能があつて新規御召出しの特典を享《う》けるか、あるひは他家の養子にゆくか、この二つの場合を除いては、殆ど世に出る見込みもないのであつた。彼等《かれら》の多くは兄の屋敷の厄介になつて、大小を横へた一人前の男がなんの仕事もなしに日を暮してゐるといふ、一面から見れば頗る呑氣らしい、また一面から見れば、頗る悲惨な境遇に置かれてゐた。
 かういふ餘儀ない事情は彼等を驅つて放縦懶惰《ほうじゆうらんだ》の高等遊民たらしめるより他はなかつた。かれらの多くは道樂者であつた。退屈|凌《しの》ぎに何か事あれかしと待構へてゐる徒《やから》であつた。Kのをぢさんも不運に生れた一人で、こんな相談相手に選ばれるには屈竟《くつきやう》の人間であつた。をぢさんは無論喜んで引受けた。
 そこで、をぢさんは考へた。昔話の綱《つな》や金時《きんとき》のやうに、頼光《らいこう》の枕もとに物々しく宿直《とのゐ》を仕つるのはもう時代おくれである。先づ第一にそのおふみと云ふ女の素性を洗つて、その女とこの屋敷との間にどんな絲が繋がつてゐるかといふことを探り出さなければいけないと思ひ付いた。
「御當家の縁者、又は召使などの中に、おふみといふ女の心當りはござるまいか。」
 この問に對して、小幡は一向に心當りがないと答へた。縁者には無論ない。召使はたびたび出代りをしてゐるから一々に記憶してゐないが、近い頃にそんな名前の女を抱へたことはないと云つた。更にだんだん調べてみると、小幡の屋敷では昔から二人の女を使つてゐる。その一人は知行所の村から奉公に出て來るのが例で、ほかの一人は江戸の請宿《うけやど》から隨意に雇つてゐることが判つた。請宿は音羽《おとわ》の堺屋といふのが代々の出入りであつた。
 お道の話から考へると、幽靈はどうしても武家奉公の女らしく思はれるので、Kのをぢさんは遠い知行所を後廻しにして、先づ手近の堺屋から詮索に取りかゝらうと決心した。小幡が知らない遠い先代の頃に、おふみといふ女が奉公してゐたことが無いとも限らないと思つたからであつた。
「では、何分よろしく、併《しか》しくれぐれも隱密にな。」と、小幡は云つた。
「承知しました。」
 二人は約束して別れた。それは三月の末の晴れた日で、小幡の屋敷の八重櫻にも青い葉がもう目立つてゐた。

        

 Kのをぢさんは音羽の堺屋へ出向いて、女の奉公人の出入帳を調べた。代々の出入先であるから、堺屋から小幡の屋敷へ入れた奉公人の名前はことごとく帳面に記《しる》されてある筈であつた。
 小幡の云つた通り、最近の帳面にはおふみといふ名を見出すことが出來なかつた。三年、五年、十年とだんだんに遡つて調べたが、おふゆ、おふく、おふさ、總べてふ[#「ふ」に傍点]の字の付く女の名は一つも見えなかつた。
「それでは知行所の方から來た女かな。」
 さうは思ひながらも、をぢさんはまだ強情《がうじやう》に古い帳面を片端から繰つてみた。堺屋は今から三十年前の火事に古い帳面を燒いてしまつて、その以前の分は一冊も殘つてゐない。店にあらん限りの古い帳面を調べても三十年前が行止まりであつた。をぢさんは行止りに突きあたるまで調べ盡さうといふ息込みで、煤《すす》けた紙に殘つてゐる薄墨の筆のあとを根《こん》好く辿つて行つた。
 帳面は勿論小幡家のために特に作つてあるわけではない。堺屋出入りの諸屋敷の分は一切あつめて横綴《よことぢ》の厚い一冊に書き止めてあるのであるから、小幡といふ名を一々拾ひ出して行くだけでも其面倒は容易でなかつた。殊に長い年代に亙つてゐるのであるから筆跡も同一ではない。折釘のやうな男文字のなかに絲屑のやうな女文字もまじつてゐる。殆ど假名ばかりで小兒《こども》が書いたやうな所もある。その折釘や絲屑の混雜を丁寧に見わけてゆく中《うち》には、こつちの頭も眼も眩《くら》みさうになつて來た。
 をぢさんもそろそろ飽きて來た。面白づくで飛んだことを引受けたといふ後悔の念も萌《きざ》して來た。
「これは江戸川の若旦那。なにをお調べになるんでございます。」
 笑ひながら店先へ腰を掛けたのは四十二三の痩せぎすの男で、縞の着物に縞の羽織を着て、だれの眼にも生地《きぢ》の堅氣《かたぎ》とみえる町人風であつた。色のあさ黒い、鼻の高い、藝人か何ぞのやうに表情に富んだ眼を有つてゐるのが、彼の細長い顔の著しい特徴であつた。かれは神田の半七といふ岡つ引で、その妹は神田の明神下で常盤津の師匠をしてゐる。Kのをぢさんは時々その師匠のところへ遊びにゆくので、兄の半七とも自然懇意になつた。
 半七は岡つ引の仲間でも幅利きであつた。併《しか》しこんな稼業のものにはめづらしい正直な淡白《さつぱり》した江戸兒風の男で、御用を嵩《かさ》に着て弱い者を窘《いぢ》めるなどといふ惡い噂は曾《かつ》て聞えたことがなかつた。彼は誰に對しても親切な男であつた。
「相變らず忙しいかね。」と、をぢさんは訊いた。
「へえ、今日も御用でこゝへ鳥渡《ちよつと》まゐりました。」
 それから二つ三つ世間話をしてゐる間に、をぢさんは不圖《ふと》かんがへた。この半七ならば祕密を明かしても差支へはあるまい、いつそ何も彼も打明けて彼の智慧を借りることにしようかと思つた。
「御用で忙がしいところを氣の毒だが、少しお前に聞いて貰ひたいことがあるんだが……。」と、をぢさんは左右を見まはすと、半七は快く首肯《うなづ》いた。
「なんだか存じませんが、兎《と》もかくも伺ひませう。おい、おかみさん。二階をちよいと借りるぜ。好いかい。」
 彼は先に立つて狭い二階にあがつた。二階は六疊|一間《ひとま》で、うす暗い隅には葛籠《つづら》などが置いてあつた。をぢさんも後からつゞいてあがつて、小幡の屋敷の奇怪な出來事について詳しく話した。
「どうだらう。巧《うま》くその幽靈の正體を突き止める工夫《くふう》はあるまいか。幽靈の身許《みもと》が判つて、その法事供養でもして遣《や》れば、それでよからうと思ふんだが……。」
「まあ、さうですねえ。」と、半七は首をかしげてしばらく考へてゐた。「ねえ、旦那。幽靈はほんたうに出るんでせうか。」
「さあ。」と、をぢさんも返事に困つた。「まあ、出ると云ふんだが……。私も見た譯《わけ》ぢやない。」
 半七は又默つて煙草を喫《す》つてゐた。
「その幽靈といふのは武家の召使らしい風をして、水だらけになつてゐるんですね。早く云へば皿屋敷のお菊を何うかしたやうな形なんですね。」
「まあ、さうらしい。」
「あの御屋敷では草雙紙のやうなものを御覽になりますか。」と、半七はだしぬけに思ひも付かないことを訊いた。
「主人は嫌ひだが、奥では讀むらしい。直きこの近所の田島屋といふ貸本屋が出入りのやうだ。」
「あの御屋敷のお寺は……。」
「下谷の淨圓寺だ。」
「淨圓寺……。へえ、さうですか。」と、半七はにつこり笑つた。
「なにか心當りがあるかね。」
「小幡の奥様はお美しいんですか。」
「まあ、美《い》い女の方だらう。年は二十一だ。」
「そこで旦那。いかゞでせう。」と、半七は笑ひながら云つた。「御屋敷方の内輪《うちわ》のことに、わたくしどもが首を突つ込んぢやあ惡うございますが、いつそこれはわたくしにお任せ下さいませんか。二三日のうちに屹《きつ》と埒《らち》をあけてお目にかけます。勿論、これは貴方《あなた》とわたくしだけのことで、決して他言は致しませんから。」
 Kのをぢさんは半七を信用して萬事を頼むと云つた。半七も受合つた。しかし自分は飽までも蔭の人として働くので、表面はあなたが探索の役目を引受けてゐるのであるから、その結果を小幡の屋敷に報告する都合上、御迷惑でも明日《あした》からあなたも一緒に歩いて呉《く》れとのことであつた。どうで閑の多い身體《からだ》であるから、をぢさんも直《じ》きに承知した。商賣人の中でも、腕利きと云はれてゐる半七がこの事件をどんな風に扱ふかと、をぢさんは多大の興味を持つて明日を待つことにした。その日は半七に別れて、をぢさんは深川の某所に開かれる發句の運座《うんざ》に行つた。
 その晩は遲く歸つたので、をぢさんは明日の朝早く起きるのが辛かつた。それでも約束の時刻に約束の場所で半七に逢つた。
「けふは先づ何處へ行くんだね。」
「貸本屋から先へ始めませう。」
 二人は音羽の田島屋へ行つた。をぢさんの屋敷へも出入りをするので、貸本屋の番頭はをぢさんを能く知つてゐた。半七は番頭に逢つて、正月以來かの小幡の屋敷へどんな本を貸入れたかと訊いた。これは帳面に一々記してないので、番頭も早速の返事に困つたらしかつたが、それでも記憶のなかから繰出して二三種の讀本《よみほん》や草雙紙の名をならべた。
「そのほかに薄墨草紙といふ草雙紙を貸したことはなかつたかね。」と、半七は訊いた。
「ありました。たしか二月頃にお貸し申したやうに覺えてゐます。」
「ちよいと見せて呉れないか。」
 番頭は棚を探して二冊つゞきの草雙紙を持ち出して來た。半七は手に取つてその下の卷をあけて見てゐたが、やがて七八丁あたりのところを繰擴げて窃《そつ》とをぢさんに見せた。その※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28] 繪は武家の奥方らしい女が座敷に坐つてゐると、その縁先に腰元風の若い女がしよんぼりと俯向《うつむ》いてゐるのであつた。腰元は正《まさ》しく幽靈であつた。庭先には杜若《かきつばた》の咲いてゐる池があつて、腰元の幽靈はその池の底から浮き出したらしく、髪も着物も酷たらしく濕《ぬ》れてゐた。幽靈の顔や形は女小兒を悸《おび》えさせるほどに物凄く描いてあつた。
 をぢさんはぎよつ[#「ぎよつ」に傍点]とした。その幽靈のもの凄いのに驚くよりも、それが自分の頭のなかに描いてゐるおふみの幽靈にそつくりであるのに脅《おびや》かされた。その草雙紙を受取つてみると、外題《げだい》は新編うす墨草紙、爲永瓢長作と記してあつた。
「あなた、借りていらつしやい。面白い作ですぜ。」と、半七は例の眼で意味ありげに知らせた。をぢさんは二冊の草雙紙を懐中に入れてこゝを出た。
「わたしもその草雙紙を讀んだことがあります。きのふあなたに幽靈のお話をうかゞつた時に、ふいとそれを思ひ出したんですよ。」と、往來へ出てから半七が云つた。
「して見ると、この草雙紙の繪を見て、怖い怖いと思つたもんだから、たうたうそれを夢に見るやうになつたのかも知れない。」
「いゝえ、まだそればかりぢやありますまい。まあ、これから下谷へ行つて御覽なさい。」
 半七は先に立つて歩いた。二人は安藤坂をのぼつて、本郷から下谷の池の端へ出た。けふは朝から些《ち》つとも風のない日で、暮春の空は碧い玉を磨いたやうに晴れかゞやいてゐた。
 火の見櫓の上には鳶が眠つたやうに止まつてゐた。少し汗ばんでゐる馬を急がせてゆく、遠乘りらしい若侍の陣笠の庇《ひさし》にも、もう夏らしい日がきらきらと光つてゐた。
 小幡が菩提所の淨圓寺は可《か》なりに大きい寺であつた。門を這入《はい》ると、山吹が一ぱいに咲いてゐるのが目についた。ふたりは住職に逢つた。
 住職は四十前後で、色の白い、髯《ひげ》のあとの青い人であつた。客の一人は侍、一人は御用聞きといふので、住職も疎略には扱はなかつた。
 こゝへ來る途中で、二人は十分に打ち合わせをしてあるので、をぢさんは先づ口を切つて、小幡の屋敷には此頃怪しいことがあると云つた。奥さんの枕もとに女の幽靈が出ると話した。さうして、その幽靈を退散させるために何か加持祈祷《かぢきたう》のすべはあるまいかと相談した。
 住職は默つて聽いてゐた。
「して、それは殿様奥様のお頼みでござりまするか。又、あなた方の御相談でござりまするか。」と、住職は珠數《じゆず》を爪繰《つまぐ》りながら不安らしく訊いた。
「それは何れでもよろしい。兎《と》に角《かく》御承知下さるか、どうでせう。」
 をぢさんと半七とは鋭い瞳《ひとみ》のひかりを住職に投げ付けると、彼は蒼くなつて少しく顫《ふる》へた。
「修行《しゆぎやう》の淺い我々でござれば、果して奇特《きどく》の有る無しはお受合ひ申されぬが、兎も角も一心を凝らして得脱《とくだつ》の祈祷をつかまつると致しませう。」
「なにぶんお願ひ申す。」
 やがて時分|時《どき》だといふので、念の入つた精進料理が出た。酒も出た。住職は一杯も飮まなかつたが、二人は鱈腹に飮んで食つた。歸る時に住職は、「御駕籠でも申付けるのでござるが……。」と、云つて、紙につゝんだものを半七にそつと渡したが、彼は突戻して出て來た。
「旦那、もうこれで宜しうございませう。和尚め、顫《ふる》へてゐたやうですから。」と、半七は笑つてゐた。住職の顔色の變つたのも、自分たちに鄭重な馳走をしたのも、無言のうちに彼の降伏を十分に證明してゐた。それでもをぢさんは未《ま》だよく腑に落ちないことがあつた。
「それにしても小さい兒が何うして、ふみが來たなんて云ふんだらう。判らないね。」
「それはわたくしにも判りませんよ。」と、半七は矢張《やはり》笑つてゐた。「子供が自然にそんなことを云ふ氣遣ひはないから、いづれ誰かゞ教へたんでせうよ。唯、念のために申して置きますが、あの坊主は惡い奴で……延命院の二の舞で、これまでにも惡い噂が度々あつたんですよ。それですから、あなたとわたくしとが押掛けて行けば、こつちで何にも云はなくつても先方は脛《すね》に疵《きず》で顫《ふる》へあがるんです。かうして釘をさして置けば、もう詰らないことはしないでせう。わたくしのお役はこれで濟みました。これから先はあなたの御考へ次第で、小幡の殿様へは宜しきやうにお話しなすつて下さいまし。では、これで御免を蒙ります。」
 二人は池の端で別れた。

        

 をぢさんは歸途《かへり》に本郷の友達の家《うち》に寄ると、友達は自分の識つてゐる踊の師匠の大浚《おほさら》ひが柳橋のあるところに開かれて、これから義理に顔出しをしなければならないから、貴公も一緒に附合へと云つた。をぢさんも幾らかの目録を持つて一緒に行つた。綺麗な娘子供の大勢あつまつてゐる中で、燈火《あかり》のつく頃までわいわい騒いで、をぢさんは好い心持に酔つて歸つた。そんな譯で其日は小幡の屋敷へ探索の結果を報告にゆくことが出來なかった。
 あくる日小幡をたづねて、主人の伊織に逢つた。半七のことは何にも云はずに、をぢさんは自分ひとりで調べて來たやうな顔をして、草雙紙と坊主の一條を自慢らしく報告した。それを聽いて、小幡の顔色は見る見る蔭った。
 お道はすぐに夫の前に呼び出された。新編うす墨草紙を眼の前に突き付けられて、おまへの夢に見る幽靈の正體はこれかと嚴重に吟味された。お道は色を失つて一言もなかつた。
「聞けば淨圓寺の住職は破戒の堕落僧だといふ。貴様も彼に誑されて、なにか不埒を働いてゐるに相違あるまい。眞直に云へ。」
 夫に幾ら責められても、お道は決して不埒を働いた覺えはないと泣いて抗辯した。しかし自分にも心得違ひはある。それは重々恐れ入りますと云つて一切の祕密を夫とをぢさんとの前で白状した。
「このお正月に淨圓寺へ御參詣にまゐりますと、和尚様は別間で色々お話のあつた末に、わたくしの顔をつくづく御覽になりまして、頻りに溜息を吐《つ》いておいでになりましたが、やがて低い聲で『あゝ御運の惡い方だ。』と獨り言のやうにおつしやいました。その日はそれでお別れ申しましたが、二月に又お詣りをいたしますと、和尚様はわたくしの顔を見て、又同じやうなことを云つて溜息を吐《つ》いておいでになりますので、わたくしも何だか不安心になつてまゐりまして、『それはどうした譯でございませう。』と怖々うかゞひますと、和尚様は氣の毒さうに、『どうも貴方《あなた》は御相《ごさう》がよろしくない。御亭主を持つてゐられると、今に御命にもかゝはるやうな禍《わざはひ》が來る。出來ることならば獨身におなり遊ばすとよいが、左もないと貴方ばかりでない、お嬢様にも、おそろしい災難が落ちて來るかも知れない。』と諭《さと》すやうに仰しやいました。かう聞いて私もぞつ[#「ぞつ」に傍点]としました。自分は兎《と》もあれ、せめて娘だけでも災難を逃れる工夫《くふう》はございますまいかと押返して伺ひますと、和尚様は『お氣の毒であるが、母子《おやこ》は一體、あなたが禍を避ける工夫をしない限りは、お嬢様も所詮逃れることはできない。』と……。さう云はれた時の……わたくしの心は……御察し下さいまし。」と、お道は聲を立てゝ泣いた。
「今のお前達が聞いたら、一口に迷信とか馬鹿々々しいとか蔑《けな》してしまふだらうが、その頃の人間、殊に女などは皆《み》んなさうしたものであつたよ。」と、をぢさんはこゝで註を入れて、わたしに説明してくれた。
 それを聽いてからお道には暗い陰が絆《まつ》はつて離れなかつた。どんな禍《わざはひ》が降りかゝつて來やうとも自分だけは前世の約束とも諦めよう。しかし可愛い娘にまでまきぞへの禍《わざはひ》を着せると云ふことは、母の身として考へることさへも怖ろしかつた。あまりに痛々しかつた。お道にとつては、夫も大切に相違なかつたが、娘は更に可愛かつた。自分の命よりもいとほしかつた。第一に娘を救ひ、あはせて自分の身を全うすることは、飽きも飽かれもしない夫の家を去るよりほかにないと思つた。
 それでも彼女は幾たびか躊躇した。そのうち二月も過ぎて、娘のお春の節句が來た。小幡の家でも雛を飾つた。緋桃白桃の影をおぼろに揺《ゆる》がせる雛段の夜の灯を、お道は悲しく見つめた。來年も再來年も無事に雛祭が出來るであらうか。娘はいつまでも無事であらうか。呪はれた母と娘とは何方《どちら》が先に禍《わざはひ》を受けるのであらうか。そんな恐れと悲しみとが彼女の胸一ぱいに擴がつて、あはれなる母は今年の白酒に酔へなかつた。
 小幡の家では五日の日に雛をかたづけた。今更ではないが雛の別れは寂しかつた。その日の午《ひる》すぎにお道が貸本屋から借りた草雙紙を讀んでゐると、お春は母の膝に取附きながらその※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28] 繪を無心に覗いてゐた。草雙紙は、かの薄墨草紙で、酷《むご》い主人の手討に逢つて、杜若《かきつばた》の咲く古池に沈められたお文といふ腰元の魂が、奥方のまへに形をあらはしてその恨みを訴へるといふところで、その幽靈がもの凄く描いてあつた。稚いお春もこれには餘ほど脅《おびや》かされたらしく、その繪を指して「これ、何。」と、怖々《こはごは》訊いた。
「それは文といふ女のお化けです。お前もおとなしくしないと、庭のお池からかういふ怖《こは》いお化けが出ますよ。」
 嚇《おど》す積《つも》りでもなかつたが、お道は何心なく斯う云つて聞かせると、それがお春の神經を強く刺戟したらしく、ひきつけたやうに眞蒼になつて母の膝にひしと獅噛《しが》み付いてしまつた。
 その晩にお春はおそはれたやうに叫んだ。
「ふみが來た!」
 明くる晩もまた叫んだ。
「ふみが來た!」
 飛んだことをしたと後悔して、お道は早々に彼の草雙紙を返してしまつた。お春は三晩つゞいてお文の名を呼んだ。後悔と心配とでお道も碌々に眠られなかつた。さうして、これが彼《か》の恐ろしい禍《わざはひ》の來る前觸れではないかとも恐れられた。彼女の眼の前にもお文の姿がまぼろしのやうに現れた。
 お道もたうとう決心した。自分の信じてゐる住職の教へにしたがつて、こゝの屋敷を立退くより他はないと決心した。無心の幼兒《をさなご》がお文の名を呼びつゞけるのを利用して、かれは俄に怪談の作者となつた。その僞りの怪談を口實にして、夫の家を去らうとしたのであつた。
「馬鹿な奴め。」と、小幡は自分の前に泣き伏してゐる妻を呆れるやうに叱つた。併しこんな淺墓《あさはか》な女の巧みの底にも人の母として我子を思ふ愛の泉の潜んで流れてゐることを、Kのをぢさんも認めないわけには行かなかつた。をぢさんの取りなしで、お道はやうやうに夫の宥《ゆる》しを受けた。
「こんなことは義兄《あに》の松村にも聞かしたくない。しかし義兄の手前、屋敷中の者どもの手前、なんとかをさまりを付けなければなるまいが、何うしたものでござらう。」
 小幡から相談をうけてKのをぢさんも考へた。結局、をぢさんの菩提寺の僧を頼んで、表向きは得體《えたい》の知れないお文の魂のために追善供養を營むと云ふことにした。お春は醫師の療治をうけて夜啼をやめた。追善供養の功力《くりき》によつて、お文の幽靈も其後は形を現さなくなつたと、まことしやかに傳へられた。
 その祕密を知らない松村彦太郎は、世の中には理窟で説明のできない不思議なこともあるものだと首をかしげて、日頃自分と親しい二三の人達にひそかに話した。わたしの叔父もそれを聽いた一人であつた。
 お文の幽靈を草雙紙のなかから見つけ出した半七の鋭い眼力を、Kのをぢさんは今更のやうに感服した。淨圓寺の住職はなんの目的でお道に怖ろしい運命を豫言したか、それに就いては半七も餘り詳しい註釋を加えるのを憚つてゐるらしかつたが、それから半年の後にその住職が女犯《によぼん》の罪で寺社方の手に捕はれたのを聽いて、お道は又ぞつ[#「ぞつ」に傍点]とした。彼女は危い斷崖の上に立つてゐたのを、幸ひに半七のために救はれたのであつた。
「今もいふ通り、この祕密は小幡夫婦と私のほかには誰も知らないことだ。小幡夫婦はまだ生きてゐる。小幡は維新後に官吏となつて今は相當の地位にのぼつてゐる。わたしが今夜話したことは誰にも吹聽《ふいちやう》しない方がいゝぞ。」と、Kのをぢさんは話の終りに斯う附け加へた。
 この話の濟む頃には夜の雨もだんだんに小降りになつて、庭の八つ手の葉のざわめきも眠つたやうに鎮まつた。

 幼いわたしの頭腦《あたま》にはこの話が非常に興味あるものとして刻み込まれた。併しあとで考へるとこれ等《ら》の探偵談は半七としては朝飯前の仕事に過ぎないので、それ以上の人を衝動するやうな彼の冒險仕事はまだまだ他に澤山あつた。彼は江戸時代に於ける隱れたシヤアロツク・ホームズであつた。
 わたしが半七によく逢うやうになつたのは、それから十年の後で、恰《あたか》も日清戰争が終りを告げた頃であつた。Kのをぢさんは、もう此の世にゐなかつた。半七も七十を三つ越したとか云つてゐたが、まだ元氣の好い、不思議なくらゐに水々しいお爺さんであつた。息子に唐物商《とうぶつや》を開かせて、自分は樂隱居でぶらぶら遊んでゐた。わたしは或《ある》機會から、この半七老人と懇意になつて、赤坂の隱居所へたびたび遊びに行くやうになつた。老人はなかなか贅澤で、上等の茶を淹れて旨い菓子を食はせてくれた。
 その茶話《ちやばなし》のあひだに、わたしは彼の昔語を色々聽いた。一冊の手帳は殆ど彼の探偵物語で填《うず》められてしまつた。その中から私が最も興味を感じたものをだんだんに拾ひ出して行かうと思ふ、時代の前後を問はずに――

底本:「定本・半七捕物帳 第1巻」同光社
   1950(昭和25)年1月25日初版発行
入力:小山純一
校正:浜野智
1998年7月9日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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