岡本綺堂

蜘蛛の夢—— 岡本綺堂

    

 S未亡人は語る。

 わたくしは当年七十八歳で、嘉永《かえい》三年|戌歳《いぬどし》の生れでございますから、これからお話をする文久《ぶんきゅう》三年はわたくしが十四の年でございます。むかしの人間はませ[#「ませ」に傍点]ていたなどと皆さんはよくおっしゃいますが、それでも十四ではまだ小娘でございますから、何もかも判っているという訳にはまいりません。このお話も後に母などから聞かされたことを取りまぜて申上げるのですから、そのつもりでお聴きください。
 年寄りのお話はとかくに前置きが長いので、お若い方々はじれったく思召《おぼしめ》すかも知れませんが、まずお話の順序として、わたくしの一家と親類のことを少しばかり申上げて置かなければなりません。わたくしはその頃、四谷の石切横町に住んでいました。天王《てんのう》さまのそばでございます。父は五年以前に歿しまして、母とわたくしは横町にしもた[#「しもた」に傍点]家《や》ぐらしを致していました。別に財産というほどの物もないのでございますが、髪結床《かみゆいどこ》の株を持っていまして、それから毎月三|分《ぶ》ほど揚がるとかいうことで、そのほかに叔父の方から母の小遣いとして、一分《いちぶ》ずつ仕送ってくれますので、あわせて毎月|小《こ》一両、それだけあればその時代には女ふたりの暮らしに困るようなことはなかったのでございます。兄は十九で京橋の布袋屋《ほていや》という大きい呉服屋さんへ奉公に出ていまして、その年季のあけるのを母は楽しみにしていたのでございます。
 叔父は父の弟で、わたくしの母よりも五つの年上で、その頃四十一の前厄《まえやく》だと聞いていました。名は源造といいまして、やはり四谷通りの伝馬町《てんまちょう》に会津屋《あいづや》という刀屋の店を出していましたので、わたくしの家とは近所でもあり、かたがたしてわたくしの家の後見というようなことになっていました。叔父の女房、すなわち私の叔母にあたります人は、おまんといいまして、その夫婦の間にお定、お由という娘がありまして、姉が十八、妹が十六でございました。
 これでまず両方の戸籍しらべも相済みまして、さてこれから本文《ほんもん》でございます。前にも申上げました通り、文久三年、この年の二月十三日には十四代将軍が御上洛になりまして、六月の十六日に御帰城になりました。そのお留守中と申すので、どこのお祭りもみな質素に済ませることになりまして、六月のお祭り月にも麹町の山王さまは延期、赤坂の氷川《ひかわ》さまもお神輿《みこし》が渡っただけで、山車《だし》も踊り屋台も見合せ、わたくしの近所の天王さまは二十日過ぎになってお祭りをいたしましたが、そういう訳ですから、氏子《うじこ》の町内も軒提灯《のきぢょうちん》ぐらいのことで、別になんの催しもございませんでした。年のゆかない私どもには、それが大変さびしいように思われましたが、これも御時節で仕方もございません。
 その六月の二十六日とおぼえています。その頃わたくしは近所の裁縫のお師匠さんへかよっていましたので、お午《ひる》ごろに帰って来まして、ちょうど自分の家の横町へはいりかかりますと、家から二、三|間《げん》手前のところに男と女が立っていまして、男はわたくしの家を指さし、女に何か小声で話しているらしいのでございます。何だかおかしいと思ってよく見ると、その男は会津屋の叔父で、女は二十二、三ぐらいの粋な風俗、どうも堅気の人とは見えないのでした。叔父さんがあんな女を連れて来て、わたくしの家を指してなんの話をしているのかと、いよいよ不思議に思いながらだんだんに近寄って行きますと、叔父はわたくしの足音に気がついて、こっちを急に振向きましたが、そのまま黙って女と一緒に、むこうの方へ行ってしまいました。
「今、叔父さんが家の前に立っていましたよ。」
 わたくしは家へ帰ってその話をすると、母も妙な顔をしていました。
「そうかえ。叔父さんがそんな女と一緒に……。家《うち》へは寄って行かなかったよ。」
「じゃあ、阿母《おっか》さんは知らないの。」
「ちっとも知らなかったよ。」
 話はそれぎりでしたが、その時に母は妙な顔をしたばかりでなく、だんだんに陰《くも》ったような忌《いや》な顔に変ってゆくのがわたくしの眼につきました。しかし母はなんにも言わず、わたくしもその上の詮議《せんぎ》もしませんでした。
 旧暦の六月末はもう土用のうちですから、どこのお稽古もお午《ひる》ぎりで、わたくしもお隣りの家から借りて来た草双紙《くさぞうし》などを読んで半日を暮らしてしまいました。夕方になって、表へ水を撒いたりして、それから近所の銭湯へ行って帰って来ると、表はもう薄暗くなって、男の子供たちが泥だらけの草鞋《わらじ》をほうりながら横町で蝙蝠《こうもり》を追いまわしていました。粗相か悪戯《いたずら》か、時どきにその草鞋がわたくし共の顔へも飛んで来ますので、わたくしはなるべく往来のはしの方を通って、路地の口から裏口へまわりますと、表でさえも暗いのに、家のなかにはまだ燈火《あかり》もつけていないらしく、そこらには藪蚊《やぶか》の唸る声が頻りにきこえます。
「おや、おっかさんはいないのかしら。」
 そう思いながら台所から上がりかかると、狭い庭にむかった横六畳の座敷に、女の話し声がきこえます。それは確かに会津屋の叔母の声で、なんだか泣いているらしいので、わたくしは思わず立ちどまりました。叔母が話しているようでは、母も家にいるに相違ありません。二人は何かの話に気を取られて行燈《あんどう》をつけるのも忘れて、暗いなかで小声で話しているのをみると、これはどうも唯事《ただごと》ではあるまいと、年のゆかないわたくしも迂濶《うかつ》にはいるのを遠慮しました。そうして、お竈《へっつい》のそばに小さくなって奥の様子を窺っていますと、もともと狭い家ですから奥といっても鼻のさきで、ふたりの話し声はよく聞き取れます。叔母は小声で何か言いながらすすり泣きをしているようです。母も溜息をついているようです。どう考えても唯事ではないと思うと、わたくしも何だか悲しくなりました。そのうちに、話も大抵済んだとみえて、叔母は思い出したように言いました。
「まあちゃんまだ帰らないのかしら。」
 まあ[#「まあ」に傍点]ちゃんというのはわたくしの名で、お政というのでございます。それを切っかけに、顔を出そうか出すまいかと考えていますと、叔母はすぐに帰りかかりました。
「おや、いつの間にかすっかり夜になってしまって……。どうもお邪魔をしました。」
「ほんとうにあかりもつけないで……。」と、母も入口へ送って出るようです。
 その間にわたくしは茶の間にはいって行燈をつけました。叔母は格子をあけて出てゆく。母は引っ返して来て、わたくしがいつの間にか帰って来ているのに少し驚いているようでした。
「おまえ、叔母さんの話をきいていたかえ。」
「声はきこえても、何を話しているのか判りませんでした。」
 わたくしは正直に答えたのですが、母はまだ疑っているようでした。そうして、たとい少しでも立ち聴きをされたものを、なまじいに隠し立てをするのは却《かえ》ってよくないと思ったらしく、小声でこんなことを言い出しました。
「おまえも薄うす聞いたらしいけれど、叔母さんの家《うち》にも困ることがあるんだよ。」
 それは叔母さんの泣き声で大抵は推量していましたが、その事件の内容はちっとも知らないのでございます。わたくしは黙って母の顔をながめていますと、母は小声でまた話しつづけました。
「わたしもその事は薄うす聞いていたけれど、叔父さんはこのごろ何か悪い道楽を始めたらしいんだよ。商売《あきない》の方はそっちのけにして、夜も昼もどこへか出歩いている。この節は世間が騒々しくなって、刀屋の商売はどこの店も眼がまわるほど忙がしいという最中に、商売ごとは奉公人まかせで、主人は朝から晩まで遊び歩いていちゃあ仕様がないじゃないか。遊び歩くという以上、どうで碌なことはしないに決まっているし、叔父さんは随分お金を遣うそうで、叔母さんは大変に心配しているんだよ。」
「どこへ遊びに行くんでしょう。」と、わたくしは訊きました。
「どうも新宿の方へ行くらしいんだよ。」
 母は思い出したように、昼間の女のことを詳しく訊きかえしました。その女は新宿の芸妓かなにかで、叔父はそれに引っかかっているのだろうと、母は推量しているらしいのです。わたくしも大方そんなことだろうと思いました。商売を打っちゃって置いて、毎日遊び歩いてお金を遣って、叔父さんの家はどうなるだろう。そんなことを考えると、わたくしはいよいよ心細いような、悲しいような心持になりました。
「ふうちゃんもまだ若いからね。」と、母はひとり言のようにいって、また溜息をつきました。
 ふう[#「ふう」に傍点]ちゃんというのはわたくしの兄の房太郎のことで、前に申す通り、まだ十九で、奉公中の身の上でございます。何につけても頼りにするのは会津屋の叔父ひとり、その叔父がそういう始末ではまったく心細くなってしまいます。母が溜息をつくのも無理はありません。わたくしも涙ぐまれて来ました。
「それにね。」と、母はまたささやきました。「叔父さんはこのごろ妙に気があらくなって、家《うち》じゅうの者をむやみに叱り散らして……。叔母さんが何かいうと、あたまから呶鳴りつけて……。まるで気でも違ったような風で……。あれが嵩《こう》じたら、しまいにはどうなるだろうと、叔母さんはそれも心配しているんだよ。」
「まあ。」と、言ったばかりで、わたくしはいよいよ情けなくなりました。
 広い世間から見ますれば、会津屋という刀屋一軒が倒れようが起きようが、またその亭主が死のうが生きようが、勿論なんでも無いことでございましょうが、今のわたくし共に取りましては実に一大事でございます。
「蚊が出たね。」
 母が気がついたように言いました。わたくしはさっきから気が付かないでもなかったのですが、話の方に屈託《くったく》して、ついその儘《まま》になっていたのでございます。唯今と違って、そのころの山の手は大変、日が暮れるとたくさんの蚊が群がって来まして、鼻や口へもばらばら飛び込みます。
 母に催促されて、わたくしは慌てて縁側へ土《つち》焼きの豚を持ち出して、いつものように蚊いぶしに取りかかりましたが、その煙りが今夜は取分けて眼にしみるように思われました。

     

 会津屋のむすめのお定とお由はわたくしの稽古|朋輩《ほうばい》で、おなじ裁縫のお師匠さんへ通っているのでございます。従妹《いとこ》同士でもあり、稽古朋輩ですから、ふだんから仲のいいのは勿論で、叔父さんがそんな風ではわたくしたちばかりでなく、さあ[#「さあ」に傍点]ちゃんやおよっ[#「よっ」に傍点]ちゃんもさぞ困るだろうなどと考えると、わたくしは本当に悲しくなりました。こういう時の心持は悲しいとか情けないとかいうよりほかに申上げようはございません。どうぞお察しを願います。
 あくる日、お稽古に参りますと、お定とお由の姉妹《きょうだい》はいつもの通りに来ていました。気をつけて見ますと、わたくしの気のせいか、姉妹ともになんだか暗いような、涙ぐんだような顔をしています。ゆうべのことについて、もっと詳しく訊いてみたいような気もしましたけれど、ほかにも稽古朋輩が五、六人坐っているのですから迂濶《うかつ》なことも言えません。お稽古が済んで、途中まで一緒に帰って来ると、お定が歩きながらわたくしに訊きました。
「家《うち》のおっかさんがゆうべお前さんのとこへ行ったでしょう。」
「ええ、来てよ。」
「どんな話をして……。」
 正直に言えばよかったのでしょうが、わたくしは何だか言いそびれて、叔母さんはわたしがお湯に行っている留守に来たのだから、どんな話をしたのかよく知らないと、いい加減にごまかしてしまいました。お定はだまってうなずいていましたが、その苦労ありそうな顔は、わたくしにもよく判りました。やがて横町の角へ来たので、そこで別れて二、三間ほど歩き出しますと、お定は引っ返してわたくしのあとを追って来ました。そうして、わたくしの耳の端《はた》へ口を寄せるようにして、小声に少し力を籠《こ》めて言いました。
「およっちゃんと仲よくして頂戴よ。」
 そう言ったかと思うと、足早にまた引っ返して行ってしまいました。なんの訳だか判りません。きょうに限って、お定がなぜわざわざそんなことを言ったのか、わたくしも少しおかしく思いました。
 およっちゃんというのは妹のお由のことで、わたくしの兄とは三つ違いでございまして、従妹《いとこ》同士の重縁《じゅうえん》でゆくゆくは兄と一緒にするという相談が、双方の親たちのあいだに結ばれていることを、わたくしも薄うす承知していましたから、わたくしに向っておよっちゃんと仲よくしてくれというのは判っています。しかし今さら思い出したように往来のまん中で、だしぬけにそんなことを言ったのはどういう料簡《りょうけん》か、年のゆかないわたくしには呑み込めませんでしたが、それでも深くも気に留めないで、そのまま自分の家へ帰りました。勿論、母にもそんな話はしませんでした。
 その日はずいぶん暑かったのを覚えています。あんまり蒸すから今に夕立でも降るかも知れないと母が言っていますと、果して七つ半、唯今の午後五時でございます。その頃から空が陰って来ました。西の方角で遠い雷《らい》の音がきこえました。わたくしも雷が嫌いですが、母はなおさら嫌いで、かみなり様が鳴り出したが最後、顔の色をかえて半病人のようになってしまうのでございます。空は陰って来る、雷は鳴って来る、母の顔色はだんだん悪くなって来る。わたくしもかねて心得ていますから、蚊帳《かや》を吊る。お線香の支度をする。それから裏の空き地へ出て干物《ほしもの》を片づける。そのうちに大粒の雨が降って来る。いなびかりがする。あわてて雨戸を繰出《くりだ》している間に、母は蚊帳のなかへ逃げ込んでしまいました。
 いや、こんなことを詳しく申上げていては長くなります。とにかく、それから半|時《とき》あまりは雨と雷と稲びかりとが続いて、わたくしも仕舞いには母の蚊帳のなかへもぐり込むような始末でございました。横町の中ほどにある大きい銀杏《いちょう》に雷が落ちたときには、わたくしも気が遠くなるくらいに驚かされました。
 その夕立もようやく通り過ぎて、ゆう日のひかりが薄く洩れて来たので、母もわたくしも生きかえったように元気が出て、蚊帳をはずしたり、雨戸を明けたりしていると、どこの家でも同じことで、雨戸をあける音や、人の話し声や、往来をあるく足音や、それらが一緒になって、世間は夜があけたように賑やかになりました。
「さっきのかみなり様は一つ、どこか近所へお下《さが》りなすったに相違ないよ。」と、母は言いました。
「そうでしょうねえ。」
 そんなことを話し合っているうちに、表はいよいよ騒がしくなって、大勢の人が駈けて行く足音がきこえます。そうして、女だとか若い女だとかいう声がきこえます。何事が起ったのかとわたくしも表へ出てみると、横町の中ほどにある銀杏のまわりに大勢の人があつまっているので、雷はあすこへ落ちたのだろうと思いましたが、若い女だというのが判りません。もしや誰かが雷に撃たれたのかと、怖いものを見たさに駈けて行きますと、案の通り、そこには若い女が倒れているのでございます。
 女は雨やどりをするつもりで銀杏の下へ駈け込んだのか、それとも、ちょうど銀杏の下を通りかかったのか、いずれにしても、その木に雷が落ちたために、女も撃たれて死んだらしいのです。
 雷に撃たれて死んだ人を生れてから初めて見て、わたくしは思わずぞっとしましたが、もう一つ驚かされたのは、倒れている女の右の腕あたりにかなり大きい一匹の青い蛇が長くなって死んでいることでした。
 そこらにいた人たちの話では、その蛇は銀杏の洞《うつろ》のなかに棲んでいたものだろうということで、勿論その女に関係はないのでしょうが、なにしろ若い女が髪をふり乱して倒れている。その腕のあたりに長い蛇が死んでいるというわけですから、わたくしはまたぞっとしました。
 それだけで逃げて帰ればよろしいのですが、唯今も申す通りに怖いもの見たさで、わたくしは怖ごわながらそっと覗いてみると、その女の顔には見覚えがあります。年のころは二十二、三の粋な女――きのうのお午ごろ、叔父と一緒にわたくしの家のまえに立っていた女――着物は変っていましたけれど、確かにそれに相違ないので、わたくしは俄かにからだ中が冷たくなって、手も足もすくんでしまうように思われました。どこの何という人か知りませんけれど、ともかくも叔父と連れ立って、きのうここへ来た女がきょうもまたここへ来て、しかも雷に撃たれて死んだということが、わたくしに取っては不思議なような、怖ろしいような、何かの因縁《いんねん》があるような、一種の言うにいわれない不気味さを感じたのでございます。こう申すと、みなさんは定めてお笑いになるかも知れませんが、わたくしはその時まったく怖かったのでございます。
 死骸のまわりには大勢の人があつまっていましたが、唯《ただ》がやがやと騒いでいるばかりで、その女がどこの誰だか、識っている者はないようでございます。自身番からも人が来て、御検視を願うのだとか言っていました。
 叔父のところへ知らせてやれば、おそらく身許《みもと》は判るだろうと思うのですけれど、うっかりしたことを言っていいか悪いか判りませんから、わたくしは急いで家へ帰って来て、母にその話をしますと、母も顔をしかめて考えていましたが、そんなことに係《かか》り合うと面倒だから、決してなんにも言ってはならないと戒めました。それでもなんだか気にかかるとみえて、母はまた考えながら起《た》ちあがりました。
「おまえ、見違いじゃあるまいね。確かにきのうの女だろうね。」
「ええ、確かにきのうの人でした。」と、わたくしは受合うように言いました。
「それじゃ会津屋へ行って、叔父さんにそっと耳打ちをして来ようかねえ。」
 母は思いきって出て行きました。そのうちに日も暮れてしまって、例の蚊いぶしの時刻になりましたが、わたくしは今夜もぼんやりして、ただ坐ったままでその女のことばかりを考えていました。
 雷に撃たれて死んだのですから、別に叔父の迷惑になるようなこともあるまいとは思うのですが、ともかくも叔父の識っている人が変死を遂げたということだけでも、決していい心持はいたしません。その女は夕立の最中になんでこの横町へ来たのだろう。もしやわたしの家へたずねて来る途中ではなかったか。そうすると、わたくしの家の者も自身番へ呼出されて、なにかのお調べを受けはしまいかなどと、それからそれへといろいろのことを考えて、いよいよ忌《いや》な心持になっているところへ、母があわただしく帰って来ました。
「まあちゃん。」
 わたくしを呼ぶ声がふだんと変っているので、なんだかぎょっとして振返ると、母は息をはずませながら小声で言い聞かせました。
「会津屋のさあちゃんが何処《どこ》へか行ってしまったとさ。」
「あら、さあちゃんが……。どうして……。」
 わたしもびっくりしました。

     

 母の話はこういうのでございます。
 会津屋の姉お定は、きょうのお午《ひる》ごろに妹と一緒にお稽古から帰って、お午の御飯をたべてしまって、それから近所の糸屋へ糸を買いに行くといって出たままで帰って来ない。家でも不審に思って、糸屋へ聞合せにやると、お定はけさから一度も買い物に来ないという。いよいよ不思議に思って、妹のお由のお友達のところを二、三軒たずねて歩いたのですが、お定はやはりどこへも姿を見せないというのです。
 叔父は例の通りに、朝から家を出たぎりですから、叔母ひとりが頻《しき》りに心配しているうちに、夕立が降ってくる、雷が鳴るというわけで、母も妹も不安がますます大きくなるばかり。そのうちに夕立もやんだので、夕《ゆう》の御飯を食べてから、叔母はその相談ながらわたくしの家へ来るつもりであったそうでございます。そこへこちらから尋ねて行ったので、まあ丁度よいところへといったようなわけで、叔母は母にむかって早速にその話を始めたのです。こちらから話そうと思って出かけたところを、あべこべに向うから話しかけられて、母も少し面喰らったそうでございます。
 お定の家出にも驚かされましたが、こちらも話すだけのことは話さなければなりませんので、母もかの女のことを話し出しますと、叔母も不思議そうな顔をして聴いていました。そんな女については一向に心あたりがないと言ったそうで……。なにしろこの頃の叔父のことですから、どこにどういう知人が出来ているのか、叔母にも見当が付かないらしいのでございます。
 一方には会津屋のむすめが家出をする、一方には叔父に係り合いのあるらしい女が雷に撃たれている。この二つの事件がまるで別々であるのか、それともその間に何かの縁をひいているのか、それも一切《いっさい》わからないので、叔母も母もなんだか夢のような心持で、ただ溜息をついているばかりでしたが、一方の女のことはともかくも、娘の家出――多分そうだろうと思われるのですが、この方はそのままにして置くことは出来ませんから、店の者にも言い付けて、それぞれに手分けをして心あたりを探させることにしたというのでございます。
 半日ぐらい帰らないからといって、こんなに騒ぐのもおかしいと思召すかも知れませんが、その頃の堅気の家のむすめは誰にも断りなしに遠いところへ行くことはありません。たとい近所へ行くにしても必ず断って出る筈ですから、小《こ》半日もその行くえが知れないとなれば、ひと騒ぎでございます。ましてことし十八という年頃の娘ですから尚更のことで、誰かと駈落ちでもしたか、誰かにかどわかされたか、なにしろ唯事ではあるまいと思うのが普通の人情でございます。叔母が心配するのも無理はありません。
 いつまで叔母と向い合って、溜息をついていても果てしがないので、母はまた来るからといって一旦帰って来たのでございます。その話をしてしまって、母はわたくしに訊きました。
「さあちゃんは何処かの若い人と仲よくしていたかしら。おまえ、知らないかえ。」
「そんなことは……。あたし知りませんわ。」
「ほんとうに知らないかえ。」
 幾たび念を押されても、わたくしは全く知らないのでございます。お定がよその若い男と心安くしているなどというのは、今まで一度も見たこともなし、そんな噂を聞いたこともありません。さっきの夕立の最中に、お定はどこにどうしていたのでしょう。それを思うと、わたくしはまたむやみに悲しくなりました。
 母はまたこんなことをささやきました。
「今、帰る途中で聞いたらば、さっきの死骸は自身番へ運んで行ったが、まだ御検視が済まないそうだよ。」
「どこの人でしょうねえ。」
「それは判らないけれども……。おまえ、決してうっかりした事を言っちゃあいけないよ。誰に訊かれても黙っているんだよ。叔父さんと一緒に歩いていたなんぞと言っちゃあいけないよ。」と、母は繰返して口留めをしました。
 うっかりしたことを言って、それが飛んでもない係り合いになって、町奉行所の白洲《しらす》へたびたび呼出されるようなことがあっては大変ですから、母は堅く口留めをするのでございます。幾度もおなじことを申すようですが、まったくその時のわたくしは怖いような、悲しいような、なんともいえない心持でございました。
 五つ(午後八時)過ぎになって、母は再び会津屋へ出て行きましたが、お定の行くえはやはり知れません。叔父も帰って来ないのでございます。といって、わたくし共がどうすることも出来ないのですから、母もわたくしも心配しながらその晩は遅く寝床にはいりました。夕立のあとは余ほど涼しくなったのでございますが、二人ながらおちおち眠られませんでした。
 寝苦しい一夜を明かすと、あしたは晴れていて朝から暑くなりました。雷に撃たれた銀杏の木は、大きい枝を半分折られたのですが、その幹には蝉《せみ》が飛んで来て、ゆうべの事なんぞはなんにも知らないように朝からそうぞうしく鳴いていました。裏の井戸へ水を汲みに出ると、近所の娘やおかみさんが二、三人あつまって、ゆうべの女の噂で賑わっていました。そのなかで仕事師《しごとし》のおかみさんが、その後の成行きを一番よく知っていて、みんなに話して聞かせました。
「あの女はよい辰[#「よい辰」に傍点]という遊び人の娘で、去年まで新宿の芸妓をしていたんですとさ。それが近江屋という質屋の旦那の世話になって、今では商売をやめて家《うち》にぶらぶらしていたんだそうです。お父《とっ》さんは遊び人で、土地でも相当に顔が売れていた男なんですが、五、六年前からよいよい[#「よいよい」に傍点]になってしまって、この頃では草履をはいて、杖をついて、ようよう近所を歩くくらいのことしか出来なくなったので、世間ではよい辰[#「よい辰」に傍点]といっているんです。それでも娘がいい旦那をつかまえているので、まあ楽隠居のような訳だったのですが、その金箱《かねばこ》が不意にこんなことになってしまっては、お父《とっ》さんもさぞ力を落しているでしょうよ。若い時からずいぶん人を泣かせているから、年を取ってこうなるのは当り前だなんぞと言う人もありますけれど、なにしろ自分はよいよいになって、稼ぎ人のむすめに死なれたのですから、まったく気の毒ですよ。むすめの名ですか。娘はお春といって、芸妓に出ているときは小春といっていたそうです。小春が治兵衛と心中しないで、青大将を冥途の道連れじゃあ、あんまり可哀そうじゃありませんか。」
 おかみさんは他人事《ひとごと》だと思って、笑いながら話していましたが、わたくしはその一言一句を聞きはずすまいと、一生懸命に耳を引っ立てていました。
「人の噂ですから、確かなことは判りませんがね。」と、おかみさんはまた言いました。「なんでもそのお春という女には内所の色男があって、きのうもそこへ逢いに行く途中で、あんなことになったらしいというんですよ。」
「それじゃあ、その男というのがこの辺にいるんでしょうか。」と、となりの左官《さかん》屋のむすめが訊きました。
「大方そうでしょうよ。うっかり出て来ると面倒だと思って、知らん顔をして引っ込んでいるんでしょうが、そんな不人情なことをすると、女の恨みがおそろしいじゃありませんか。女の思いが蛇と一緒になって執りつかれた日にゃあ、大抵の男も参ってしまいまさあね。」と、おかみさんはまた笑いました。
 家へはいって、わたくしは母にそっと話しますと、母は考えていました。
「それにしても、まさかに叔父さんがその相手じゃあるまい。」
「そうでしょうねえ。」
「そりゃ男のことだから何ともいえないけれど、叔父さんは四十一で、親子ほども年が違うんだからねえ。」と、母はあくまでもそれを信じないような口ぶりでした。
 叔父がその女の相手であるかないかは別として、ともかくも叔父がその女を識っているのは事実ですから、叔父が帰って来れば恐らく詳しいことも判るだろうと思われました。母はけさも会津屋へ出かけて行きましたが、叔父もお定もやはり音沙汰なしだというのでございます。
 母と入れかわって、わたくしも見舞ながら会津屋へ行きますと、叔母はいろいろの苦労でゆうべはまんじりともしなかったということで、気ぬけがしたように唯《ただ》ぼんやりしていました。気の毒とも何とも言いようがありません。妹のお由はお稽古を休んで、きょうは家にいました。どなたも大抵お気付きになっていることと存じますが、きのうお定がわたくしと別れるときに、およっちゃんと仲よくしてくれと言いました。それから家へ帰って、間もなくどこへか行ってしまったのですから、覚悟の上の家出ではないかと思われます。
 わたくしがなぜそれを母に洩らさないかといいますと、お定が家出をしたあとで迂濶にそんなことを言い出すと、そんなことがあったらば、なぜ早くわたしに言わないのかと母に叱られるのが怖ろしいので、ゆうべは勿論、けさになっても黙っていたのではございますが、こうして会津屋の店へ来て、叔母や店の人たちの苦労ありそうな顔をみていますと、わたくしももう黙ってはいられないような気になりました。
 それでも、叔母に向っては言い出しにくいので、帰るときにお由を表へ呼出して、小声でそのことを話しますと、お由は案外平気な顔をしていました。
「あたし知っているわ。姉さんはふうちゃんと一緒に、どっかに隠れているのよ。」
 わたくしはまたびっくりしました。兄の房太郎は奉公中の身の上でございます。それが叔父のむすめを誘い出してどこにか隠れている。そんなことのあろう筈がありません。お由がなぜそんなことを言うのかと、わたくしは呆れてその顔をながめていますと、お由の眼はいつかうるんで来ました。
「ねえさん、あんまりだわ。」
 前にも申す通り、お定は総領ですから婿を取らなければなりません。そこで、妹娘のお由を兄の房太郎に娶《めあ》わせるという内約束になっていることは、わたくしも薄うす知っています。その妹の男を姉が横取りして、一緒にどこへか姿をかくしたとすれば、妹のお由が恨むのも無理はありません。しかしお定はそんな人間でしょうか。兄はそんな人間でしょうか。わたくしにはどうしても本当の事とは思われませんので、いろいろにその子細を詮議してみましたが、お由も確かな証拠を握っているのではないらしいのです。それでもきっとそれに相違ないと、涙をこぼして口惜しがっているのです。
 嘘か、本当か、なにしろこうなってはうかうかしていられないので、わたくしは急いで家へ帰って、母にそれを訴えますと、母も顔の色を変えました。万一それが本当ならば、お定ばかりのことではなく、兄もお店《たな》をしくじるのは知れていますから、母はすぐに支度をして、京橋の店へその実否《じっぷ》をただしに行くことになりまして、慌てて着物を着かえているうちに、俄かに持病が起りました。
 母の持病は癪《しゃく》でございます。この頃の暑さで幾らか弱っていたところへ、きのうからいろいろの心配がつづきまして、ゆうべも碌ろく眠らない上に、今は又、飛んでもないことを聞かされたので、持病の癪が急に取りつめて来たのでございます。持病ですから、わたくしも馴れてはいますが、それでも打っちゃっては置かれませんので、近所の鍼医《はりい》さんを呼んで来て、いつものように針を打って貰いますと、まずいい塩梅《あんばい》におちつきましたが、母の癖で、癪を起しますと小半日は起きられないのでございます。
「あいにくだねえ。」
 母は焦《じ》れて無理にも起きようとしますが、日盛りに出て行って、また途中で倒れでもしては大変ですから、いろいろになだめて片陰《かたかげ》の出来るまで寝かして置きまして、やがて七つ半を過ぎた頃から出してやりました。まだ不安心ですから、駕籠を頼もうかと言いましたが、母はもう大丈夫だと、歩いて出て行きました。
 わたくしが独りで留守番をするのは、今に始まった事ではありませんが、きょうはなんだか心さびしくてなりませんでした。日が暮れ切ってから会津屋の叔母が蒼い顔をして尋ねて来まして、叔父もお定もまだ行くえが知れない。お岩稲荷のお神籤《みくじ》を取ってみたらば、凶と出たということでした。
「おっかさんはどこへ……。」
 その返事にはわたくしも少し困りました。兄のことで京橋へ出て行ったと正直に話すわけにもゆかないので、芝の方によい占い者があるので、そこへ見てもらいに行ったと、いい加減の嘘をついて置きました。それもわたくしの知恵ではございません。もし会津屋から誰かが来たらば、まずそう言って置けと母から教えられていたのでございます。それでも知らぬが仏というのでございましょう。叔母は気の毒そうに溜息をついていました。
「みんなに心配をかけて済まないねえ。」
 叔母もこれから市ヶ谷の方の占い者のところへ行くといって帰りました。今夜も暑い晩で、近所の家では表へ縁台を出して涼んでいるらしく、方々で賑やかな笑い声もきこえますが、わたくしは泣き出したいくらいに気が沈んで、門端《かどばた》へ出ようともしませんでした。女の足で京橋まで行ったのですから、暇《ひま》どれるのは判っていますが、母の帰って来るのがむやみに待たれます。そこへ会津屋の利吉という小僧がたずねて来ました。
「おかみさんはこちらへ来ていませんか。」
「さっき見えたんですけれど、これから市ヶ谷の占い者のところへ行く、といって帰りましたよ。」と、わたくしは正直に答えました。「そうして、おかみさんに何か用があるの。」
「ええ。」と、利吉は少し考えながら言いました。「実はおよっちゃんが……。」
「およっちゃんがどうして……。」と、わたくしはどきり[#「どきり」に傍点]としました。
「おかみさんが出ると、すぐ後から出て行って、いまだに帰って来ないんです。」
 お由も家出をしたのでしょうか。わたくしは驚くのを通り越して、呆れてしまいました。

     

 この場合ですから、会津屋でもむやみに騒ぐのでしょうが、お由はまだほんとうに家出したかどうだか判ったものではないと、利吉の帰ったあとでわたくしは考え直しました。そう思っても何だか不安心で、母の帰るのをいよいよ待っていますと、五つ(午後八時)をよほど過ぎた頃に、母は汗をふきながら帰って来ました。それでもほっとしたような顔をして、笑いながら話しました。
「およっちゃんは人騒がせに何を言ったんだろう。ふうちゃんは京橋のお店《たな》にちゃんと勤めているんだよ。」
 わたくしもまずほっとしました。
「それからいろいろ訊いてみたけれど、あの子はまったくなんにも知らないんだよ。およっちゃんももう十六だから、何かやきもちを焼いて、そんな詰まらないことを言ったんだろうが……。」と、母は嘲《あざけ》るようにまた笑いました。「人騒がせでも何でも構わない。それが嘘でまあまあよかったよ。もし本当だった日には、それこそ実に大変だからねえ。」
 母は安心したとみえて、暑いのも疲れたのも忘れたように、馬鹿に機嫌がいいのでございます。
 それをまたおどろかすのも気の毒でしたけれども、しょせん黙ってはいられないことですから、叔母がたずねて来たことと、お由が家出をしたらしいことを、逐一に話してきかせますと、母は「まあ」と言ったばかりで、折角の笑い顔がまた俄かにくもってしまいました。
「困ったねえ。まあ、なにしろ行ってみよう。」
 くたびれ足を引摺って、母はすぐに会津屋へ出かけて行きました。きのうから今日にかけて、新宿の女が雷に撃たれる。会津屋の姉妹のむすめが家出をする。叔父はどうしているのか判らない。よくもいろいろの事がそれからそれへと続くものだと思うと、もしや夢でも見ているのではないか。夢ならば早く醒めてくれればいいと祈っていました。暫くして母が帰って来まして、お由はまだ帰って来ない、どうも家出をしたらしいというのでございます。
「叔母さんはどうして……。」
「叔母さんは市ヶ谷から帰って来たけれど……。いよいよぼんやりしてしまって、本当に気の毒でならない。今度は叔母さんが気でも違やあしないかと思うと、心配だよ。」
 この上に叔母が気違いにでもなったらば、会津屋は闇です。母も幾らか捨て鉢になったとみえて、溜息をつきながらこんな事を言い出しました。
「ああ、いくら気を揉《も》んだって仕方がない。こんなことになるのも何かの因縁だろうよ。」
 まったく何かの因縁とでも諦めるのほかはありません。しかしそう諦めなければならないというのがいかにも悲しいことでございます。お由が帰ればすぐに知らせて来る筈になっているので、表を通る足音ももしやそれかと待ち暮らしていましたが、会津屋から何の知らせもありませんでした。母もわたくしも心配しながら寝床にはいりましたが、ゆうべもよく眠られませんでしたので、年のゆかないわたくしは枕に就くと正体もなしに寝入ってしまいました。あくる朝になって聞きますと、母はゆうべもよく寝付かれなかったそうでございます。
 あさの御飯をたべてしまうと、わたくしは会津屋へ行きました。きょうも朝から照り付くような暑さで、わたくしは日傘を持って出ました。伝馬町《てんまちょう》の大通りへ出て、ふと見ますと、会津屋の前には大勢の人立ちがしているので、何とはなしにはっとして、急いで店先へ駈けて行きますと、そこには一挺の駕籠がおろしてありまして、一人の男が杖をそばに置いて、店先に腰かけています。その人相や、様子が、きのう聞いた新宿のよい辰[#「よい辰」に傍点]ではないかと思いながら、人込みの間からそっと覗いていますと、その男はもう五十以上でございましょう。なんだか舌のまわらないような口調で呶鳴っているのでございます。
「さあ、おれをどうしてくれるのだ。この年になって、こんなからだになって、大事の稼ぎ人を殺されてしまって、あしたから生きて行くことが出来ねえ。」
 まったくよいよいに相違ありません。呂律《ろれつ》のまわらない口でこんなことを頻りに繰返して呶鳴っているので、店の者はみんな困っているようでした。そのうちに誰かが呼んで来たのでしょう。町内の鳶頭《かしら》が来まして、なにかいろいろになだめて、駕籠屋にも幾らかの祝儀をやって、管《くだ》をまいているその男を無理に押込むように駕籠にのせて、ようようのことで追返してしまいました。鳶頭はまだそこに腰をかけて、店の者と何か話しているようでしたが、わたくしは奥へ通って叔母に逢いますと、叔母の顔はきのうに比べると、また俄かに窶《やつ》れたようにみえました。
「まあちゃん、お前さんにまで心配をかけて済みませんね。叔父さんは帰って来ないし、さあちゃんも行くえが知れないし、おまけにあんな奴が呶鳴り込んで来るし、わたしももうどうしていいか判らないんだよ。」
「あの人はどこの人です。」
「あれは新宿のよい辰[#「よい辰」に傍点]というんだとさ。よいよいの言う事だからよく判らないけれど、内の叔父さんがその娘のお春というのを引っ張り出して、それがためにお春が石切横町で雷に撃たれて死んだというので、ここの家《うち》へ文句を言いに来たんだが、わたしはなんにも知らない事だし、相手がかみなり様じゃあどうにもならないじゃあないか。」
「そうですねえ。」
「たとい叔父さんが引っ張り出したにしても、雷に撃たれたのは災難じゃあないか。自分たちの身状《みじょう》が悪いから、罰《ばち》があたったのさ。」と、叔母は罵るように言いました。「叔父さんが娘を引っ張り出したのか、あいつらが叔父さんを引っ張り出したのか判るものかね。」
 その権幕があまり激しいので、わたくしは怖くなりました。なるほど母のいう通り、叔母は気違いにでもなるのでないかと思うと、なんだか気味が悪くなって、逃げるように早々帰って来ました。
 それから三日ばかり過ぎました。そのあいだに母は毎日二、三度ずつ会津屋を訪ねていましたが、叔父もお定姉妹もやはり姿をみせないのでございます。今日《こんにち》で申せばヒステリーとでもいうのでしょう、叔母は半気違いのようになって家《うち》じゅうの者に当り散らしていました。
「ああしていたら会津屋はつぶれる。」と、母も涙をこぼしていました。
 七月三日の午《ひる》過ぎになって、叔父の姿が見いだされました。叔父は千駄ヶ谷につづいている草原のなかに倒れて死んでいたのでございます。大きい切石で脳天をぶち割られて。……それを考えると今でもぞっとします。その知らせが来たので、会津屋の店の者や、出入りの仕事師や、町内の月番の者や、十人ほど連れ立って、叔父の死骸を引取りに行きました。それを聞いたときには、母は声を立てて泣き出しました。わたくしも泣きました。

     

 いえ、どうもお話が長くなりまして、定《さだ》めし御退屈でございましょう。これから先のことは、自分が実地を見たわけではなく、あとで聞かされたのでございますから、なるべく掻いつまんで申上げることに致します。
 叔父の頭を石でぶち割ったというのは、その疵口ばかりでなく、血に染みた大きい切石がその近所に捨ててあったのを見て、すぐにそれと覚られたのだそうでございます。叔父がなんでそんな所にうろ付いていたのか、またどうして殺されたのか、誰にも見当が付かなかったのでございますが、やはりその時代でも探偵は相当に行届いていたものと見えまして、検視に来た役人たちはそこらの草の中に小さい蝋燭《ろうそく》の燃えさしと、ほかに印籠《いんろう》のようなものが落ちているのを見つけ出しました。それが手がかりになって四、五日の後に、叔父を殺した罪人は召捕られました。
 わたくしはその品を見ませんので、くわしいことは申上げられませんが、その印籠のようなものというのは本当の印籠よりも少し細い形で、どちらかといえば筒《つつ》のような物であったそうです。蒔絵《まきえ》などがしてあって、なかなか贅沢な拵《こしら》えであったと申します。素人にはそれが何であるかちょっと判りかねるのでございますが、役人たちはさすがに職業柄で、それは蜘蛛を入れるものであるということを知っていました。皆さんの中には御存じの方もございましょうが、江戸の文化文政ごろには蜘蛛を咬み合わせることがはやったそうでございます。シナでも或る地方ではきりぎりすを咬みあわせることが大層はやるといいますが、日本の蜘蛛も大方そんなことから来たのでしょう。誰がはじめたのか知りませんが、一時はだいぶはやりました。それが天保度《てんぽうど》の改革以来すっかりやんでしまいまして、幕末になってぼつぼつとはやり出しました。つまり軍鶏《しゃも》の蹴合《けあ》いなどと同じことで、一種の賭博に相違ありませんが、軍鶏は主《おも》に下等の人間の行なうことで、蜘蛛はまず上品のほうになっていたのだそうでございます。したがって、その蜘蛛を入れる筒には贅沢な品もあったというわけです。会津屋の叔父もいつの間にかこの道楽を始めていたのだということが、死んだあとになって判りました。
 叔父は一体が凝り性である上に、根が勝負事でありますから、だんだんに深入りをして、ほとんど夢中になってしまったのでございます。四谷辺では新宿の貸座敷の近所にある引手茶屋《ひきてぢゃや》や料理茶屋の奥二階を会場にきめて、毎日のように勝負を争っていましたが、そういう所では人の目について悪いというので、かのよい[#「よい」に傍点]辰の座敷を借りることになりました。前にも申した通り、よい辰のむすめのお春は近江屋という質屋の亭主の世話になっていました。その近江屋もやはりこの勝負の仲間である関係から、よい辰の座敷を借りることにしたのだそうでございます。お春というのも芸者あがりの莫連者《ばくれんもの》ですから、自分も男の仲間にはいって一緒に勝負をしていたそうです。親父のよい辰も半身不随のくせに、やはり勝負をしていたのでございます。いつの代もおなじことで、こんなことに耽《ふけ》っていれば結局碌なことにはなりません。
 わたくしにはよく判りませんが、蜘蛛というものは非常に残忍な動物で、同類相噛むと申します。その性質を利用して勝負を争うのですから、碁や将棋や花合せとは違いまして、自分の上手下手というよりも、虫の強い弱いということが大切でございます。それですから、咬み合いに用いる蜘蛛はなかなかその値が高かったと申します。そのなかでも袋蜘蛛がよいという事になっていたそうでございます。御承知の通り、袋蜘蛛は地のなかに棲んでいまして、袋のなかにたくさんの子を入れているのでございます。
 勝負事ですから、勝ったり負けたりするのでございましょうが、叔父は近ごろ運が悪くて、しきりに負けが続きました。負ければ負けるほど熱くなるのが勝負事のならいで、叔父はいよいよ夢中になって家の金をつかみ出しているうちに、手元がだんだん苦しくなって来ました。伯母には内密で諸方《しょほう》に借金が出来ました。まだその上に、お春親子にも三、四十両の借金が出来ました。お春の借りは勝負の上の借りですから、表立ってどうこうと言うわけにはいかない性質のものですが、その方《かた》を付けて置かないとお春の家へ出這入《ではい》りが仕にくいことになります。ことに七月の盆前にさしかかっているので、お春の方でも催促します。そこで、叔父は一時のがれの気やすめに、自分は石切横町に一軒の家作《かさく》を持っているから、もし盆前までに返金が出来なかったらば、それをおまえの方へ引渡すといって、念のためにお春を連れ出したのでございます。苦しまぎれとはいいながら、叔父も随分ひどい人で、お春をわたくしの家の前へ連れて来て、これがおれの家作だと教えたのだそうです。
 お春はそれで一旦|得心《とくしん》したのですが、家へ帰って親父に話すと、親父はよい辰ですから迂濶にその手に乗りません。よその家を人にみせて、これがおれの家作だなぞというのは、昔からよくある手だから油断は出来ない。念のためにもう一度その家をたずねて行って、たしかに会津屋の家作であるかないかを確かめて来いと言いましたので、お春も成る程と思って、あくる日の午《ひる》すぎにまた出直して来ると、あいにくにあの夕立で……。その後のことは死人に口なしでよく判りませんが、わたくしの横町へはいって、大きい銀杏の下に雨やどりをしているうちに、運わるく雷が落ちて来たらしいのです。前後の事情を考えると、どうしてもこう判断するよりほかはありません。よい辰が利かないからだを駕籠にのせて、会津屋へ呶鳴り込んで来たのも、それがためです。
 お春のことはまずそれとしまして、これからは叔父と娘ふたりの身の上でございますが、まったく勝負事にのぼせるというのは怖ろしいもので、叔父はもう夢中になってしまって、親子の情愛も忘れたらしいのでございます。勿論、盆前《ぼんまえ》にさしかかって諸方の借金に責められるという苦しい事情もあったのでしょうが、叔父は、ここで、どうしても勝ちたい、勝たなければならないと思ったらしいのです。それには前にも申す通り、どうしても強い虫を手に入れなければなりません。よい辰のところへ勝負に来る仲間はなんでも十人ほどありまして、その中で大木戸に住んでいる相模屋という煙草屋の亭主の持っている虫はたいそう強いので、叔父はしきりにそれを羨ましがって、どうか一匹譲ってくれないかと頼みますと、相模屋の亭主――名は善兵衛というのでございます。――はなかなか承知しませんで、これはみんな大事の虫だからめったに譲ることは出来ないと断りました。叔父はもう逆上《のぼ》せていますから、譲ってくれればどんな礼でもするという。それでも善兵衛は容易に承知しないでさんざん焦《じ》らした挙げ句に、おまえの娘をくれるならば譲ってやると言い出したのでございます。ずいぶん乱暴な話ですけれども、半気違いの叔父は、むむ、よろしいと承知してしまいました。
 しかしほかの事と違いますから、叔母に打明けるわけには参りません。いえば、不承知は判り切っています。不承知どころか、どんな騒ぎになるか判りません。そこで、叔父はそっと自分の家の近所へ忍んで来て、姉娘が外へ出るのを待っていますと、お定が糸を買いに出て来ましたので、ちょいとそこまで一緒に来てくれといって連れて行きました。お定も自分の親のいうことですから、なんの気もつかずに一緒に付いて行くと、叔父はむすめを大木戸の相模屋へ連れ込んで、いい加減にだまして二階へ押上げてしまいました。こうなると、お定ももう十七、八ですから、なんだかおかしく思って、早く家へ帰りたいと言い出しますと、叔父はここで一切《いっさい》の事情を打明けて、おれが勝負に勝ちさえすればきっとおまえを連れ戻しに来るから、しばらくここに辛抱しろと言い聞かせましたが、お定は泣いて承知しません。承知しないのが当り前でございます。叔父はたいそう怒りまして、親のためには身を売る者さえある。これほど頼んでも肯《き》かないならば唯は置かないといって、勿論、おどし半分ではありましょうが、ふところから小刀のようなものを出して娘の目のまえに突きつけたので、お定もふるえ上がりました。そこへ善兵衛も上がって来まして、泣き声が近所へきこえては悪いというので、お定に猿轡《さるぐつわ》をはませて、押入れのなかへ監禁してしまったのでございます。この善兵衛というのは叔父と同じ年ごろで、表向きは堅気の商人《あきんど》のように見せかけながら、半分はごろつきのような男であったそうですから、女をかどわかしたりすることには馴れていたのかも知れません。
 それでまず一匹の大きい蜘蛛を譲ってもらいまして、叔父はその晩すぐに勝負に出かけますと、一度は勝ちましたが二度目に負けました。それはお春が雷に撃たれた晩で、よい辰の家では娘の帰りが遅いので心配をはじめました。旦那の近江屋も案じていました。そんなわけで勝負はいつもより早く終ったのですが、叔父はやはり家へは帰りませんで、どこかの貸座敷へ行って酔い倒れてしまったのでございます。人間もこうなっては仕様がありません。譲ってもらった蜘蛛が思いのほかに強くないので、叔父は失望して相模屋へ掛合いに行きますと、善兵衛は相手になりません。もともと生き物の勝負であるから、向うがこっちよりも強い虫を持って来ればかなわない、わたしの持っている虫だとてきっと勝つとは限らないという返事でございます。それでも叔父はぐずぐず言うので、それではわたしの虫を捕ってくる場所を教えてやるから、おまえが行って勝手に捕るがいい。しかしその場所は秘密であるからめったに教えられないと、善兵衛がまた焦らしました。
 ここらでもう大抵は目が醒めそうなものですが、あくまでも逆上せ切っている叔父は、またうかうかとそれに乗せられて……。もうお話をするのも忌《いや》になります。叔父は自分のむすめを品物かなんぞのように心得て、その秘密の場所を教えてくれるならば、妹娘をわたすと約束してしまったのでございます。そうして、姉を連れ出したと同じような手段で、妹のお由を誘い出しました。しかし今度はお由が近所の湯屋へ行く途中に待っていて、姉さんは布袋屋に奉公しているふう[#「ふう」に傍点]ちゃん――わたくしの兄でございます。――と一緒に、大木戸の相模屋にかくれているから、わたしはこれから捉《つか》まえに行く。それでも相手は二人だから逃がすと困る。わたしがふうちゃんを押えるから、おまえは姉さんを捉まえてくれといって、うまくお由を連れ出したのだそうでございます。これは年のわかいお由の嫉妬心を煽って、やすやすと連れて行く手段であったものと想像されます。お由が善兵衛の家へ連れ込まれたときには、お定はもうそこの二階にはいなかったのでございます。
 こうして、ふたりの娘を自分の方へ取上げてしまった善兵衛は、叔父を案内して家を出ました。善兵衛はあしたにしろと言ったのですが、叔父はどうしても承知しない。暗い時ではいけないから昼間にしろと言っても、叔父はきかない。そこで、蝋燭を用意して一緒に行くことになった――と、善兵衛自身はこう言うのですが、嘘か本当か判りません。ともかくも暗い夜道を千駄ヶ谷の方角へたどって行きまして、広い草原のなかを探しあるいて、ここらの土のなかには強い袋蜘蛛がたくさんに棲んでいると教えたので、叔父は小さい蝋燭のひかりを頼りに、そこらを照らして見ると、善兵衛は足もとに転がっていた大きい切石を拾って……。後に善兵衛の申立てによると、初めから叔父を殺そうとして連れ出したのではなく、ふと足もとに大きい石のあるのを見て、俄かにそんな料簡《りょうけん》を起したのだということでしたが、実際はどうでございましょうか。いずれにしても、ここの蜘蛛を捕って行ったところで、きっと勝つかどうだか判らない。それをまた、かれこれとうるさく言って来て、娘をかえせの何のと騒ぎ立てられてはいよいよ面倒であるから、いっそ人知れずに殺してしまえという気になったに相違ありません。そのときに蝋燭は落ちて消えてしまったので、叔父の印籠の落ちたことを善兵衛は知らなかったのでございます。この印籠がなかったらば、役人たちも蜘蛛のことには気が付かず、詮議もすこしく暇《ひま》どれたことと察しられますが、蜘蛛に係り合いがあると目をつけて、四谷新宿辺でその勝負をするものを探り出したので、案外に早く埒《らち》が明いたわけでございます。
 それにしても、どうして善兵衛の仕業《しわざ》ということが判ったかといいますと、かのよい辰が会津屋へ押掛けて行ったことが岡っ引の耳にはいりまして、よい辰を詮議の結果、叔父が善兵衛の蜘蛛を譲ってもらったということが判りまして、それから善兵衛を呼出して調べると、最初はシラを切っていましたが、家探しをすると二階の押入れにはお由が監禁されている。それやこれやでさすがに包みおおせず、とうとう白状に及んだということでございます。姉のお定は三五郎という山女衒《やまぜげん》――やはり判人《はんにん》で、主に地方の貸座敷へ娼妓《しょうぎ》を売込む周旋をするのだとか申します。――の手へわたして、近いうちに八王子の方へやるつもりであったそうで、もう少しのところであぶないことでございました。
 これで、このお話もまずお仕舞いでございます。――まだ判らないことがあると仰しゃるのでございますか。はあ、成る程。お稽古の帰り道で、お定がわたくしに「およっちゃんと仲よくして頂戴」と言ったこと。――あれは後にお定に聞きますと、別になんでもないことでした。その日、裁縫のお師匠さんのところで、わたくしが間違ってお由の鋏《はさみ》を使ったというので、ひと言ふた言いい合いました。もとより根も葉もないことで、そのままに済んでしまったのですが、お定は年上でもあり、ふだんからおとなしい質《たち》の娘ですから、自分の妹とわたくしとが少しばかり角目立《つのめだ》ったのを気にかけて、帰るときにわざわざそんなことを言ったのだそうです。わたくしは年がゆかず、この通りのぼんやり者ですから、鋏の一件なんぞはとうに忘れてしまって、お定がなぜそんなことを言ったのかと、ただ不思議に思っていたのでございます。物の間違いはこんな詰まらないことから起るのでございましょう。お由がわたくしの兄のことに就いて、自分の姉を疑っていたのはどういうわけかよく判りませんが、それはお由の生れつきで、嫉妬ぶかい質《たち》の女であったらしいのです。その証拠には、後に兄と結婚しましてからも、とかくに嫉妬深いので、兄もずいぶん持て余していたようでございました。
 お定は婿を貰いましたが、産後の肥立ちが悪くて早死にを致しました。兄の夫婦ももうこの世にはおりません。生き残っているものはわたくしだけでございますが、その当時の悲しい恐ろしい思い出が今も頭にありありと刻《きざ》まれていますので、忰や孫たちにもやかましく申聞かせまして、ほかの道楽はともあれ、勝負事だけは決してさせない事にいたしております。
 余談でございますが、この蜘蛛についてはまだお話があります。
 かのお春の旦那で、近江屋という質屋の亭主もやはり気違いのようになりました。それはある日のこと、蜘蛛を入れて置く印籠筒の蓋がゆるんでいたのでしょう、蜘蛛が畳の上に這い出していたのを、女中の一人がうっかり踏みつけて殺してしまったのでございます。さあ、大変。亭主は烈火のように怒りまして、その女中をきびしく叱った上に打《ぶ》ったり蹴ったりしたとかいうので、女中はくやしいと思ったのか、申訳がないと思ったのか、裏の井戸へ身をなげて死にました。そうなると、亭主もさすがに後悔したのでしょう、その後はなんだか気が変になりまして、夜も昼もその女中のすがたが自分の眼の前にあらわれるとか言って狂い出して、仕舞いには自分もおなじ井戸へ身を投げたという噂を聞きました。
 会津屋といい、善兵衛といい、お春といい、近江屋といい、皆それぞれの変死を遂げたのは、きっと蜘蛛のたたりに相違ないと、世間ではその頃もっぱら言い触らしたそうでございます。蜘蛛の祟《たた》りかどうだか判りませんが、ともかくもみんなが蜘蛛の夢を見ていたのは事実でございましょう。まったく怖ろしい夢でございました。

底本:「蜘蛛の夢」光文社文庫、光文社
   1990(平成2)年4月20日初版1刷発行
初出:「文藝倶楽部」
   1927(昭和2)年9月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:花田泰治郎
2006年5月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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