岡本かの子

老主の一時期—– 岡本かの子

 「お旦那《だんな》の眼の色が、このごろめつきり鈍つて来たぞ。」
 店の小僧や番頭が、主人宗右衛門のこんな陰口を囁《ささや》き合ふやうになつた。宗右衛門の広大な屋敷内に、いろは番号で幾十戸前の商品倉が建て連ねてある。そのひとつひとつを数人|宛《ずつ》でかためて居る番頭や小僧の総数は百人以上であつた。その多人数の何処《どこ》か一角から起つたひとつの話題が、全体へ行き渡るまでには余程の時間がかゝる。そしてその話題によほどの確実性と普遍性がなければ、多くはある一角、または半数、三分の一くらゐなところで、いつも立ち消えになつてしまふ。宗右衛門のこの噂《うわさ》は、いつ、どの辺から起つたのか、どれだけの時間を経て屋敷全体に拡がつたものか判らないが、兎《と》に角《かく》今までにない確実性と普遍性とを持つてゐる。その上一同の者に、これほど直接に関係する話題はなかつた。
 山城屋宗右衛門のその一瞥《いちべつ》で、屋敷の隅々までも見透すほどの鋭い眼光は、彼が江戸諸大名の御用商人として、一代に巨万の富をかち得た偉《すぐ》れた彼の商魂によつて磨き出されたものである。彼が次第に老齢を加へて来ても、容易に衰へなかつたその眼光が、にはかに鈍つた原因として誰も否定し得ない出来事――山城屋の家庭の幸福を根こそぎ抜き散らしてしまつた悲惨な出来事が、最近突然山城屋へ現はれた。
 宗右衛門に二人の娘があつた。上のお小夜《さよ》は楓《かえで》のやうな淋《さび》しさのなかに、どこか艶《なま》めかしさを秘めてゐた。妹のお里はどこまでも派手であでやかであつた。宗右衛門の幸福は、巨万の富を一代にかち得たばかりで満足出来なくて、あの春秋を一時にあつめた美貌《びぼう》を二人まで持つたと人々は羨《うらや》んだ。その二人の娘が――お小夜は十九、お里は十七になつたばかりの今年の春、激しい急性のリヨーマチで、二人が二人とも前後して、俄跛《にわかびっこ》になつてしまつた。人々の驚き、まして宗右衛門夫婦にとつては、驚き以上の驚きであり、悲しみ以上の悲しみであつた。妻のお辻はそれがため持病の心臓病を俄《にわ》かに重らして死んで行つた。お辻は宗右衛門に添つて三十年、宗右衛門の頑強と鋭才との下をくゞつて、よく忍従に生きて来た。お辻は一日に三度か、四度侍女や乳母《うば》にかしづかれる愛娘達の部屋を覗《のぞ》くばかりが楽しみで、だまつて奉公人と共に働いて、別に人から好いとも悪いとも、批判されるほど目立ちもしない性分であつた。が、支へを失つた巨木のやうに、宗右衛門はがつかりとお辻の死顔の前へ座り込んでしまつたのである。俄跛の姉妹のことを呉《く》れ/″\も夫にたのんで逝《い》つたお辻の死顔の蒼《あお》ざめた萎《しな》びた頬《ほお》――お辻は五十で死んだのである。
 五月下旬の或る曇日の午後、山城屋の旦那寺《だんなでら》の泰松寺でお辻の葬儀が営まれた。宗右衛門は一番々頭の清之助や親類の男達に衛《まも》られながら葬列の中ほどを練《ね》つて歩いた。
 今、お辻の寝棺が悠々と泰松寺の山門――山城屋宗右衛門の老来の虚栄心が、ひそかに一郷の聳目《そばめ》を期待して彼の富の過剰を形の上に持ち来《きた》らしめた――をくぐつて行つた。宗右衛門には久しぶりに来て見たこの仰々《ぎょぎょう》しい山門が、背景をなす寺の前庭の寂びを含んだ老松《おいまつ》の枝の古色に何となくそぐはなく見えるのであつた。いつものやうな彼のこの山門に対する誇りと満足とは、決して彼には感じられなかつた。彼はむしろ、そのけばけばしい磨き瓦《かわら》の艶《つや》が、低く垂れた曇天の雲の色に、にぶく抑圧されてゐるのに安心した。彼は腫《は》れぼつたい眼を山門から逸《そ》らして、ほつと溜息《ためいき》をついた。彼は門脇の寄進札の劈頭《へきとう》に、あだかもこの寺門の保護者のやうに掲げ出されてある自分の名を、出来るだけ見まいとした。無頓着《むとんちゃく》な老師に先んじて、平常|斯《こ》うした俗事にまめな世話役某の顔を莫迦《ばか》/\しく思ひ浮べた。
 泰松寺は寺格の高い割りに貧乏であつた。新らしい堂々たる山門に較べて、本堂はほんの後れ毛のやうに古くてみすぼらしい。お辻の棺《ひつぎ》がその赤ちやけた本堂の畳敷の真中に置かれて、ます/\豊かに立派に見えた。宗右衛門は正座に据《すわ》つて自分のこの土地に於ける勢力を象徴するものゝやうに、本堂もひしめくばかり集つた大勢の会葬者の群を見廻した。そしてあらためてまたお辻の棺に眼をやつた。その中に横《よこた》はる蒼《あお》く萎《しな》びたお辻の死体……彼は、小さくても肉付きのよい顔かたちの人並すぐれてよく整つてゐた若い頃のお辻が、いつの間にか年をとつて、こんなに蒼く萎びたかと、納棺前のお辻の死体の傍で感じたことを思ひ出した。彼はそのとき、ろく/\妻の姿かたちさへ心にとめないで何十年間稼いで稼ぎ抜いた自分が、何となくあさましく思はれたのであつた。
 二人の娘を飾るための衣装の費用よりほか――それだけはむしろ宗右衛門自身が進んで出したがる費用でもあつた――何一つ出費の厳しい夫にねだつたこともないお辻の為めに、最後のお辻の衣装である棺を立派にしてやらうと、宗右衛門は思ひ付いたのであつた。角厚な檜《ひのき》材の寝棺をお辻の死体が二つほども這入《はい》れるくらゐ広く造つた。家の奥座敷でお辻の死体をそれに入れる時「出し惜しみが急に気張つたのでお辻さんは風邪をひくわい」と兼々《かねがね》気まづかつた親類の一人が、わざと聞えよがしの陰口をきいた。いつもの宗右衛門が、かつと怒るかはりに、成程《なるほど》と思考して死体のまはりの空所に色々なものを詰めてやつた。いつの間にかお辻が丹念に蓄へて置いた珊瑚《さんご》の根掛けや珠珍の煙草《たばこ》入れ、大切に掛け惜《おし》んでゐた縞縮緬《しまちりめん》の丹前、娘達の別れがたみの人形、宗右衛門自身が江戸の或る大名家老から頂戴《ちょうだい》した羽二重《はぶたえ》の褥《しとね》が紅白二枚、死出の旅路をひとりで辿《たど》るお辻の小さな足にも殊更《ことさら》に絹|足袋《たび》を作つて穿《は》かせ、穿きかへまでも一足添へた。宗右衛門は俄《にわ》か覚えの念仏をぶつぶつ口のなかで唱へながら、何もかにも手伝つてやつた。するとまた「お旦那《だんな》も我《が》が折れた。お嬢さん達があんなになりなさつて気が弱つたからだ。」と、どこかで奉公人達が、ひそひそ言ふけはひもしたが(俺はもう誰にも何にも言はぬぞ)観念すれば何事にも意志の強い自分であることを宗右衛門は知つてゐた。そして、それがまた何となく淋《さび》しいやうにも感じられて、棺を見つめてゐた眼をしばたゝいた。そのまゝ何もかも黙つてお辻の棺について寺へ来たのである。
 宗右衛門は軽い眩暈《めまい》を感じて眼を閉ぢた。何か哀願するやうなお辻の声が何処《どこ》かでした。それから、また、閉ぢた瞼《まぶた》の裏にまざ/\と二人の娘の跛《びっこ》姿が描かれるのであつた。宗右衛門は首をひとつ強く振つて、それをかき消さうとするのであつたが、却《かえ》つて場面を廻転したいまはしいシーンが、はつきりとあとへ描き出されるのであつた。やはりお辻の棺がまだ寺へ来ぬまへのことであつた。いよ/\家の奥座敷から、それを出さうとする時であつた。幾度も人の尠《すく》ない時を見計らつてはお辻の死床に名残《なごり》をおしみに来た二人の娘が、最後に揃《そろ》つて庭を隔てた離れ家《や》から出て来た。その時は如何《いか》に憚《はばか》らうにも人は棺の前後にあふれ、座敷の上下に渦をなしてゐた。低声ではあつたが、今まで何となくざわざわしてゐた人々の声が、俄《にわ》かに静まつた。宗右衛門もふと奥庭の奥深くへ眼をやつた。白無垢《しろむく》のお小夜とお里が、今、花のまばらな梔《くちなし》の陰から出てつはぶき[#「つはぶき」に傍点]に取り囲まれた筑波井《つくばい》の側に立ち現はれたところである。若い屈強な下婢《かひ》が二人左右に――姉も妹も痩《や》せ形ながら人並より高い背丈を、二人の下婢の肩にかけた両手の力で危ふく支へて僅《わず》かに自由の残る片足を覚束《おぼつか》なげに運ばせて来る。黒紋付を着た宜《よ》い老婢が一人、小婢を一人|随《したが》へて、あとから静かに付き添つて来る、……やがて薄い涙で曇つた宗右衛門の眼に、拡大されて映つた二人の娘の姿が、静まり返つた人々の間を通つて、お辻の寝棺の傍に近づいた。宗右衛門はあわてゝ立ち上つた。そして棺に高い台をかふやうに急いで命じた。人々も娘達も呆気《あっけ》にとられた。宗右衛門は娘を其処《そこ》へ座らせまいとしたのであつた。座ればその下半身は、曲らぬ片足を投げ出したまゝの浅ましい異様なもののうづくまりになるからである。棺は丁度、娘達の胸まで達した。あらためて娘達は棺に近づいた。姉も妹も並んで一所に額付《ぬかづ》いた……二人の白羽二重の振袖《ふりそで》が、二人がなよやかな首を延べて身をかゞめようとするその拍子に、丸い婢《ひ》の肩を滑つて、あだかも鶴の翼のやうに左右へ長く開いたのである……人々はこの清艶《せいえん》な有様に唾を呑《の》んだ。娘達はそのまゝ黙つてしばらく泣いた。顔を上げた時、二人の頬《ほお》から玉のやうな涙が溢《あふ》れ落ちた。御殿女中上りの老婢に粧装《つく》られる二人の厚化粧に似合つて高々と結《ゆ》ひ上げた黒髪の光や、秀でた眉《まゆ》の艶《つや》が今日は一点の紅《べに》をも施さない面立ちを一層品良く引きしめてゐる。とりわけ近頃|憂《うれ》ひが添つて却《かえ》つてあでやかな妹娘の富士額《ふじびた》ひが宗右衛門には心憎いほど悲しく眺められたのであつた。

「ごーん」と低い丸味を帯びた鐘の音が、本堂の隅々まで響いた。夢のさめたやうな宗右衛門の追想が打ち切られた。彼はあわてゝ眼を開いた。読経《どきょう》が始まらうとするのである。泰松寺の老師が、五六人の伴僧を随《したが》へて、しづ/\棺前に進み寄つた。宗右衛門は幾度も眼をしばだたいて老師のにび[#「にび」に傍点]色の法衣をうしろから眺めた。老師の後頭部の薄い禿《はげ》へ仏前の蝋燭《ろうそく》の灯《ひ》がちらちらとうつつた。宗右衛門はいつもならばひそかに得意の微笑を洩《も》らすのである。老師は宗右衛門より三つ四つ年も若い。宗右衛門にはまだ白髪交《しらがまじ》りでも禿はない。かなり名の知れた名僧でありながらいつも貧乏たらしいにび[#「にび」に傍点]色の粗服で、何処《どこ》かよぼよぼして見えるのが、無信心の宗右衛門にむしろ平常は滑稽《こっけい》にも思はれた。だが、今日の宗右衛門には老師のにび[#「にび」に傍点]色姿が何となく尊く見える。
「不思議だな、俺も変つたわい」
 宗右衛門は腹の中で独り言つた。

 夏になつて二人の娘達はいよ/\美しかつた。片輪の身のあはれさが添つて、以前の美しさに一層|清艶《せいえん》な陰影が添つた。が、今年もお揃《そろ》ひの派手な縮み浴衣《ゆかた》を着は着ても、最早《もは》やその裾《すそ》から玉のやうな踵《かかと》をこぼして蛍狩《ほたるがり》や庭の涼《すず》みには歩かなかつた。異様な醜いうづくまりをその下半身にかたちづくつて、二人は離れ家《や》の居室にひつそりとしてゐた。退屈な悩ましい――しかしそれを口にはあまり出し合ひもせず、二人は美しい額《ひたい》の汗ばかり拭《ふ》いてゐた。
「御覧あそばせな、今朝は紅が九つ、紫が六つ、絞りが四つと白が七つ、それから瑠璃《るり》色が……」
 老女が小《こ》女によく磨いた真鍮《しんちゅう》の耳盥《みみだらい》を竹椽《たけえん》へ運ばせた。うてなからちぎり取られた紅、紫、瑠璃色、白、絞り咲きなどの朝顔の花が、幾十となく柄《え》を抜いた小傘のやうに、たつぷり張つた耳盥の水面に浮んでゐる。この毎朝のたのしみを老女は若い頃の大名屋敷勤めの間に覚えた。
「あ、お旦那《だんな》が」
 小女が老婢《ろうひ》の後で言つた。皆、水面に集まつてゐた眼をあげた。古いきびら[#「きびら」に傍点]を着た宗右衛門が母屋《おもや》へ通ふ庭の小径《こみち》をゆつくりと歩いて来る。
「お珍らしい」
 老女は顔を皺《しわ》めて微笑した。
「まあ、お父様」
 おとなしいお小夜は、たゞうれしくなつかしかつた。俄《にわ》かに居ずまひを直しにかゝつた。が、敏感なお里は何事か胸にこたへた。お里は、ぢつとしたまゝ黙つてゐた。前庭の一番大きな飛石の上に、宗右衛門は立つて淋《さび》しく微笑した。
「まあ、お珍らしい」
 老女はひたすら宗右衛門を座敷の方へ招じ入れようとした。
 今朝もまた、彼が見る毎《ごと》に二人の娘の美しさは増して行つた。醜い下半部の反比例をますます上半身に現はすのではないか。皮肉の美しさを、ます/\宗右衛門は見せつけられる。美しい娘達の上半身を見る宗右衛門の苦痛は、醜い下半部を見る苦痛と変らなかつた。
 宗右衛門はこの苦痛の為めに、追々《おいおい》娘達の部屋を訪れなくなつたのであつた。母の無いのちの一層たよりない娘達を却《かえ》つて訪ねて来なくなつたのであつた。
「おとふ様、どう遊ばしました」
 お小夜が懐かしげに父親を仰いだ。
「どうも商売の方が忙しくてな。それにお母さんが亡くなつて、家の方もなにやかや……」
 ぢつと眼を伏せてゐるお里を見て、宗右衛門はだまつてしまつた。
「おう、朝顔が綺麗《きれい》だな」
 その耳盥《みみだらい》から少し視線を上げれば、そこにはお小夜の異様な脚部――宗右衛門はぞつとして、逆に老女の顔を見上げた。
「どうだな、二人とも毎日元気かな」
 宗右衛門は四日前の夕方、こゝを訪ねたきりであつた。娘達が忙しいお辻の手から育ての侍女の手に移つてこゝの離れ家《や》に棲《す》み始めて十何年間、朝夕二回の屋敷へ往《ゆ》くさ帰るさ、必ず宗右衛門はこの部屋へ立ち寄つた。時には夜ふけて寝酒の微酔でやつて来る時さへあつたのに、江戸への出入も店の商売もとかく怠り勝ちになつたといふ此頃《このごろ》の忙しさとは何であるか、老女には判り兼《か》ねた。
「お旦那《だんな》が、このごろ、泰松寺へしげ/\行かれる」
 と店の者から、ちらと聞いたが、それにしても娘達に疎遠してまで、妻女の墓参にばかり行かれるとはうけとれなかつた。
「旦那様、泰松寺にまた、御普請でも始まりますか」
「いや何にもない」
 宗右衛門は何故《なぜ》かあはてゝ老女の言葉を消した。
「お父様、お掛け遊ばせ」
 お小夜は小女に、麻の座布団をとらしてすゝめた。
「あゝ、ありがたう、かまはずにゐて呉《く》れ、わしは直ぐまた出かけなけりやならない」
 宗右衛門が庭に面して縁端の座布団へ坐《すわ》つた時、始めて父親を見上げたお里の鋭い視線を横顔に感じた――
(何もかもお里は勘付《かんづ》いてゐる)
 お里の利溌《りはつ》を余計愛してゐた宗右衛門が、今はお里が誰よりも怖ろしくなつた。やがてそれがいくらかの憎しみともなつた。小夜が不憫《ふびん》で、うつかり離れ家へ向けようとした足も、お里を考へてぎつくりと止まる。商売の算段もなまり、倉々を見廻る眼力もにぶつたが、人知れず遠くから離れ家を見詰める宗右衛門の眼の色は、異様に光つた。美しいゆゑに余計に醜い娘達の異形《いぎょう》が、追々宗右衛門の不思議な苦難の妄執となつて附纏《つきまと》つた。
 或る夜も宗右衛門は眼を覚した。広い十畳の間にひとり宗右衛門は寝てゐたのである。宵に降つた雨の名残《なごり》の木雫が、ぽたり/\と屋根を打つてゐた。蒸し暑いので宗右衛門は夜具をかいのけ、煙草《たばこ》を喫《す》はうとして起き上つた。床の上に座つて枕元の煙管《きせる》をとりあげた。引き寄せて見ると生憎《あいにく》、煙草盆の埋火《うずみび》が消えてゐたので、行燈《あんどん》の方へ膝《ひざ》を向けた――自然、まつすぐに離れ家の方を彼は向いてしまつたのである。――
(しまつた!)
 彼は喉元で自分を叱《しか》つた。宗右衛門にとつては最早《もは》や此頃《このごろ》の二人の娘は妄鬼であつた。離れ家はまさしく妄者の棲家《すみか》であつた。またしても、お小夜とお里と、それに時たまの例となつて、死んだお辻さへ異形のなかの一例となつて宗右衛門の眼前をぐる/\とめぐつた。
 宗右衛門は煙草《たばこ》を置いて、夏のはじめ泰松寺の老師から伝授されたうろ覚えの懺悔文《さんげもん》をあわてゝ中音に唱へ始めた。
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我昔所造諸悪業  皆由無始貪瞋痴
従身語意之所生  一切我今皆懺悔
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 この口唱が一しきり済んで、娘達のまぼろしの一めぐりしたあとへ、屋敷内のありとあらゆる倉々の俤《おもかげ》が彼の眼の前で躍《おど》り始めた。黒塗りに光る醤油《しょうゆ》倉、腰板鎧《こしいたよろい》の味噌《みそ》倉、そのほか厳丈《がんじょう》な石作りの米倉、豆倉。
 彼は、今度は少し大きな声で経を誦《ず》し続けた。だが、まばたき一つで、また娘達のまぼろしがかへつて来た。
 読経《どきょう》の声が、ずつと高くなると娘達の姿はかき消えて、今度は店の番頭小僧、はした[#「はした」に傍点]達のまぼろしがぞろ/\眼の前をとほり始めた。
 瞼《まぶた》をべつかつこう[#「べつかつこう」に傍点]した小僧もあり、平身低頭の老番頭、そのかげから、昔、かけ先きの間違ひで無体《むたい》に解雇した中年の男のうらめしさうな顔も出る。
 宗右衛門はふら/\と起き上ると、あやふくのめりさうになつた。が、辛《かろ》うじて足を踏みしめて再び蒲団《ふとん》の上にかしこまつた。そしてすつかり正式の読経の姿勢になつた。前の懺悔文を立てつゞけに誦し続けた。

 宗右衛門は夏の始めから、泰松寺の仏弟子となつてゐた。お辻が死んで一ヶ月程たつてからである。或日《あるひ》宗右衛門は生来の我慢を折つて、泰松寺の老師の膝下にひざまづいたのであつた。彼は突然、信仰心を起したといふわけではなかつた。彼が寂しさ苦しさのあまり、自分を救ふ何等《なんら》かの手段を、衆生《しゅじょう》済度《さいど》僧たる老師が持ち合せるであらうといふ一面功利的な思ひつきからでもあつた。その時、老師は、梅雨の晴れ上つた午後の日ざしがあかるくさした障子《しょうじ》をうしろに端座してゐた。中庭には芍薬《しゃくやく》が見事に咲き盛つてゐた。宗右衛門はお辻の葬式以来、ます
ます 老師のにび色姿が尊く思へた。今日は一層、その念を深めた。が、直ぐさま自分の心持ちも言ひ出せなかつた。老師は宗右衛門の娘達の不幸を先《ま》づ頭に思ひ浮べた。次に彼の妻お辻の死を思つた。
「まあ、あなたの心は、大抵、わしにも判る。時々来て見なされ」
 老師は、にこやかに言つて小僧に茶を運ばせた。
 それ以来、宗右衛門の泰松寺通ひの噂《うわさ》が添田家の内外に高くなつた。宗右衛門は商売も追々番頭にまかせ勝ちになつて行つた。

 夏もだんだん ふけて行つた。仏教の初歩の因果応報説が極《ご》くわづかに宗右衛門の耳に這入《はい》つて来た。過去の悪業《あくごう》が、かりに娘の異状となつて現はれたと観念することは出来ぬかと老師は宗右衛門に問ふてみた。
「めつさうなこと、私は人の命をあやめたことも、人の品物をかすめた覚えもありません」
 宗右衛門は不断の剛情を思はず出して殆《ほとん》ど老師に反抗的な口調で言つた。老師は手を振つて静かに説いた。
「それは違ふ、眼にも見えず、形にもあらはれぬ業《ごう》といふ重荷を、われ

われはどれほど過ぎ来《こ》しかたに人にも自身にも荷《にな》はせてゐるか知れぬ」
 老師の重々しい口調の下に宗右衛門はうちひしがれた。
「さうで御座《ござ》いませうかなあ。私が剛情者といふことは自分でもはつきり判ります。が、それでまたあの身代《しんだい》をこしらへましたので、剛情も別に悪いことゝは思ひませんでしたが」
「ではあなたは、なぜあの身代だけで満足しなさらぬな、娘衆がどうならうと、妻女がその為めに死になさらうと……」
 宗右衛門は、はつと頭を下げた。
「では、御老師、私はどういたしたらその業とやらが果せませうか」
「さあ、眼にも見ず、形の上でも犯さぬ業ならば、やつぱり心の上で、徐々に返すよりほかはあるまい――まづこの呪文《じゅもん》を暇のある毎《ごと》に唱へなさい。心からこれを唱へれば、懺悔《さんげ》の心がいつか自分の過去現在未来に渡つて泌《し》み入り、悪業が自然と滅して行く」
 宗右衛門は、いつか眼に見えぬ形をなさぬ業因を自分の過去に探り初めてゐた。
 宗右衛門の父祖は北国《ほっこく》の或《ある》藩の重職にあつた。が、その藩が一不祥事の為め瓦解《がかい》に逢《あ》ふや、草深い武蔵野《むさしの》の貧農となつて身を晦《くら》ました。宗右衛門の両親は、その不遇の為めに早世した。武家へ生れても孤児の宗右衛門は何の躾《しつけ》も薫育《くんいく》も授《さず》からず、その部落の同情で辛《かろ》うじて八九歳までの寿命を延ばしたに過ぎない。そして江戸の或る御用商人の小僧にやられた。覇気と頑強と、精力的なので多少主人を顰蹙《ひんしゅく》させ、朋輩《ほうばい》達に憎がられはしても、どんどん彼は他を抜いて行つた。こんな具合で彼は二十歳をあまり過ぎなくて最早《もは》や出入りの諸大名の用人達に彼の非凡な商才と勤勉とを認められた。それのみならず、争はれぬ血統からとでも言はうか、彼は無学頑強なうちにも、おのづからなる折目|躾《しつけ》を持ち、武家への応待に一種の才能をさへ持つてゐた。今や彼は衆を圧し、老練な一番々頭をまで抜いて店の主権をかち得ようとした。その時、突然、主人夫妻は、流行の悪疫で同時に死んで行つてしまつたのである。店は間もなく瓦解《がかい》した。多くの奉公人達も自然と離散した。が殆《ほとん》どその時の店の中心であつた彼は単純に身を退くわけには行かなかつた。主人が独り遺《のこ》した娘のお辻は、自然と彼の手中に来て、彼の妻となり、老齢で隠居した一番々頭の外《ほか》に、主人の得意を譲りうけるものはなかつたので、その結果も自然と彼の処へ来た。
 江戸の西郊、彼の卜《ぼく》した地の利も彼に幸ひした。彼のその精力と頑強と覇気とを余すところなく発揮した。主人から譲り受けた出入り先きの五倍、七倍、十倍、年と共に得意の大名の数を増し、二十余台の馬力車は彼の広大な屋敷内に羅列する幾十の倉々から荷を載せて毎日、江戸へ向けて出発した。江戸へ三里の往還には、いつの日もその積荷の影を絶たなかつた。彼の身辺には江戸近郷、遠くは北国西国の果《はて》からまで、何百人かの男女の雇人が密集した。彼は健康で年寄ることも忘れてゐた。妻は従順であり娘達は美しく育つた……。
 彼は自分の発展と幸福の順路を、彼の三十余年間の勤勉と律気から得た当然の報酬としか、どうしても考へられない。彼は懺悔文《さんげもん》の一札を手にして、いくらかの不平をさへ感じた――もつとも彼は妻の葬儀の時、妻に対していくらかの悔《くい》と憐憫《れんびん》は感じた。が、その程度の償《つぐな》ひとして充分あの時|追悼《ついとう》はしてやつた――彼はまた幾らか奉公人に酷な所もなかつたかと省みられる節《ふし》もないではない。しかし、それも結局、やくざ者を用捨なく解雇し、懲戒するだけであつて、その償ひは質の好い使用人を優待することで充分償はれてゐる筈《はず》であるが……はて何であらう、何が斯《こ》うまで酷《ひど》く自分の今の運命に祟《たた》つて来た業因《ごういん》であらう※[#疑問符感嘆符、1-8-77]
「まあ何でもよい、あまりな、その一念を、ひとつ所に凝らさぬがよい。凝つて凝り過ぎると必ずそこに妄想をひく、娘衆が妄者に見えても困るではないか。何も忘れてな、暫《しば》らく暢気《のんき》にしてゐたが宜《よ》い。そしてあんまり気が腐つたら、あの懺悔文を読むことぢや」
 老師はこれ以上難かしい教理など言つて聞かしても、なか/\判りさうもない宗右衛門を、ひたすら現在のまゝでなだめた。
 宗右衛門は、一時は自分から進んで難かしい経典などに親しみ、早く何事かを探り当て、どうにかして救はれようとあせつた。しかし彼には徒《いたず》らに判読しがたい文字の羅列であつた。現在の彼の悩みをさそくに救つて呉《く》れなかつた。家に居れば彼は離れ家のことばかり気になつてゐた。二人の娘に対しての無沙汰《ぶさた》がいつも彼は気がゝりであつた。素気《そっけ》ない此頃《このごろ》の父に対する二人の娘の思はくが一通りならぬ彼のなやみの種であつた。しかし、それよりも彼を恐怖の頂上に引き上げるものは、何といつても二人の娘の異形を見なければならないことであつた。
 二人は全然、離れ家から出て来なかつた。それでも彼は、家に居れば直ぐ近くに離れ家のけはひを感じた。奥庭の小径《こみち》の奥|筑波井《つくばい》の向うの梔《くちなし》の隙《すき》、低い風流な離れ家の棟《むね》。それが何度一日に彼の目につくことであらう。結局彼はいつとはなしに娘達と遠ざかつて行つてしまつた。最早《もは》や娘達に弁解の言葉も尽きた。彼の病的に弱つた神経がだん/\娘達への見栄《みえ》や虚構の力をも失つて行つた。離れ家の方から使ひに来る下婢《かひ》達の姿にも顔をそむけるやうに彼はなつた。
 繁昌《はんじょう》盛りの商売から日々揚がる莫大な金も追々彼にはうとましくなつて行つた。彼はなほ委細に彼の身辺に何か業因らしいものを認めようとあせつた。が、彼の屋敷内の数多い倉の一つにも一人の人柱は用ゐてはゐない。一日に何|石《こく》何|俵《びょう》を搗《つ》き出す穀倉の杵《きね》と臼《うす》の一つでも、何十人のなかの誰の指一本でも搗きつぶしたことがあらうか……何にもない。誰を誰もが、どうもしない。三十余年前自分が身を浄《きよ》めて土台を据ゑたこの屋敷内へ、どうしてあの様な浅ましい妄鬼――否々、何の業因が不憫《ふびん》な娘達の異形となつて現はれたのか。殆《ほとん》ど彼の生命であつた家も屋敷も、倉々も皆、今はとりとめもなく彼の憎悪と不平をたゞよはせるところとなつた。彼は家に居たくないためばかりでも度々、泰松寺へ出かけて行つた。行かなければ気が安まらなかつた。
「老師さま、本堂の改築を、私にさせて下さいまし」
 と宗右衛門は申し出た。
「有難いことぢや、しかしな、わしにはこの本堂で沢山《たくさん》ぢや、一つには、この古色を帯びたところがわしの好みぢや、それからまたわしとこの本堂とは、また格別な因縁もあるのぢや」
 老師は穏やかに宗右衛門の言葉を退けた。しかし、老師は宗右衛門のこの頃のありさまが、つくづく不憫であつた。難かしい教理や公案は刻下の彼を救ふものではない。寺へ来て、本堂と庫裡《くり》の間を何かしらまご/\してゐるだけでも彼に慰めであらうなら、それでよい。老師はいつも和やかな顔を彼に向けてゐた。
 宗右衛門は家から蝋燭《ろうそく》を一抱へ持つて来て、手当り次第、仏前に燈明《とうみょう》を上げて見た。太い南天を見付けて来ては、切り刻んだり磨いたりして何本かの鑰打《やくう》ちを造つた。結構な打ち菓子を誂《あつら》へて仏前や老師に供へた。しまひには納所《なっしょ》部屋にまでも、それを絶やさなかつた。泰念といふ静《しずか》な朴訥《ぼくとつ》な小僧が居て、加減よく茶を立てゝは宗右衛門によくすゝめた。彼は薄い夏|蒲団《ぶとん》を家から運んだ。そして涼しい庫裡裏で半日を午睡に過し、夕方すご/\家へ帰つて行く。彼のその姿を度々見かける村の者は、長年、彼の豪勢へ持つてゐた反感を、この頃、幾何《いくばく》の同情に変へて来た。泰松寺から家へ帰つて行く彼の心は暗かつた。恐ろしかつた。とりとめもなく腹立たしかつた。彼は奥座敷の離れ家の屋根の見える側の雨戸を夏の真盛りの夕刻早々厳重に閉めさした。

 秋の晩方から宗右衛門は寺の納所《なっしょ》部屋の隣へ小さな隠居所を建てゝ籠《こも》つた。寺の世話役も彼の心中を察して別段やかましく言はなかつた。村の者もあまり怪《あやし》まうとしなかつた。しかし、たゞ宗右衛門が少し気がふれたと取沙汰《とりざた》する者は多かつた。宗右衛門は三日に一度くらゐ帰つて来て、それもほんの屋敷の一部をぼんやり見廻はつて来るに過ぎなかつた。
 一番々頭が持参する日々の出納《すいとう》帳もあまり身にしみては見なかつた。極々まれに、こわごわ娘達の様子を聞くことはあつた。しかし番頭はじめ店の者も誰も、あまり詳しくは話さなかつた。事実、娘達の消息は、店へあまり詳しく判らないのであつた。たゞ、達者でゐることだけは判つた。宗右衛門はその度に何かいま/\しいやうな気がした。が、またほつと安心もした。
 宗右衛門が寺へ来てから直《じ》きに彼は一つの困難に突き当つた。納所部屋から庫裡《くり》へ続くところの一間の壁の壁画に、いつ誰の手に成つたとも知れぬ女菩薩《にょぼさつ》の画像があつた。或日《あるひ》秋の日暮れがたであつた。宗右衛門は、すつかりそれに見惚《みと》れて佇《たちどま》つてゐた。その女菩薩が妙に宗右衛門の性慾を刺戟《しげき》したのであつた。女菩薩の画像は等身大であつた。何者が斯《こ》うまで巧妙に描いたものか。そのふくよかな頬《ほお》、なよやかな鼻、しまり過ぎぬ細い唇。半開の眼が海の潮の一片のやうなうるみ[#「うるみ」に傍点]を籠《こ》めて長く引かれ、素直にそれに添つた薄墨の眉毛《まゆげ》の情深さ。それ等《ら》は丸味を帯びた広い額《ひたい》の白毫《びゃくごう》の光に反映せられ、反《かえ》つて艶冶《えんや》を増す為めか、或ひはそれ等の部分部分にことさら丹念に女人の情を潜ませてあるのか、兎《と》に角《かく》、彼は今まで如何《いか》なる名匠の美人画にも単なる艶冶や嬌態《きょうたい》を示したものに、これほど心を引かれたことはなかつた。清浄を湛《たた》へて艶冶ははじめてまことに生き、ます/\嬌色は深まるものであらうか――。
 沈み切つた暮色のなかに、この女菩薩像が愈々《いよいよ》生きて宗右衛門に迫つた。丸い肩から流れる線の末端を留めて花弁を揃《そろ》へたやうな――それも自然に薄紅の肉色を思はせる指、なよやかな下半身に打ちなびく羅衣《らい》の襞《ひだ》の、そのひとつ/\の陰にも言ひ知れぬ濃情を潜めてゐるのであつた。宗右衛門のその時の性慾は、単なる肉体の劣情ばかりではなかつた。彼が曾《か》つて、殆《ほとん》ど感じたことのなかつた、求めても得られず、また求めようともしなかつた女性への思慕――彼は胸元をひきしぼられるやうな甘い悲哀にだん/\ひたつて行つた。彼は其処《そこ》へひざまづいた。生来、始めて感じた神秘的な恍惚《こうこつ》に彼は陥つてゐた。再び眼をひらいた時、彼の眼の前は闇一色であつた。彼は、そつとその壁に手をふれてみた。ひやりと――おそらくさうであつたらう、彼は、その異様な感触に手の先を振りながら、自分の部屋へ駆け込んだ。
(俺は何といふ罰あたりだ)
 彼は炉の傍へうづくまつた。部屋は真暗であつた。かたく閉《とざ》した部屋の外には、ことりとも音がしない。炉の灰をかむつた火のかげろふが二つ三つ、遠い過去か未来の夢の中のロマンチックな灯のやうに、彼の想ひを引きいれるのであつた。
 宗右衛門は五十余歳の年齢にしては、若い肉体を持つてゐたが、それは彼の頑強と豪気との抑圧的な一種の反感を対者に加へるにとゞまつて、誰も彼から淫蕩《いんとう》の感じを受ける者はなかつた。実際、彼には、生来さうした行跡は殆《ほとん》どないと言つてもよかつた。江戸の主家に居る時、ほんの小僧の時、一度、若者になつてから二三度、無理やりに朋輩《ほうばい》や先輩に誘はれて遊女屋へ足を入れたことはあつた。彼は其処《そこ》で、いくらかの性慾の好奇心を満足させたばかりで、気持ちに何の纏綿《てんめん》をも持てなかつた。むしろ、より多くみだり[#「みだり」に傍点]がましさに反感を重ねて行くやうになつて、ふつつり他からの誘惑にも乗らなくなつた。それから主家の小間使ひであつた大工の娘のお静といふ可愛い少女に暫《しば》らく人知れず懸想して居たことはあつた。が、武士の血筋のプライドがいつか彼を謹厳にして、その懸想をもしりぞけさせた。お静が貧しい大工の娘であつたからである。妻のお辻も、主家の娘といふ点が、いくらか彼のプライドを緩和しただけで、たゞの町家の平凡な娘を、便宜上、妻にしたに過ぎないといふ気持ちばかりで終始してゐた。では、彼は、あるか無きかの如き陰性なお辻一人に満足し切つて、彼の男盛りの何十年を過して来たか。否、彼の心に全然、女の影のさゝぬことはなかつたのであつた。
 娘達の乳呑《ちのみ》時代に、半年ほど離れ家へ抱へたお光といふ乳母《うば》(今はその乳母の為めに、離れ家を聯想《れんそう》するのさへ嫌であるが)は二十五六で、或《ある》商家の出戻り娘であつた。あたりを明るくするほどの派手な美貌《びぼう》であつた。その上、気性は如何《いか》にも痴情で、婚家から出されたと頷《うなず》けるほど浮々してゐた。それから店の下婢《かひ》のなかから珍らしく可憐《かれん》なうら[#「うら」に傍点]寂しい、そして何処《どこ》か愛嬌《あいきょう》ぶかいお作といふ小娘を見出《みいだ》したこともあつた。が、前者は家が乱れはせぬかといふ打算的|杞憂《きゆう》から、後者は、例の彼の矜持《きょうじ》が、彼を逐々、何の間違ひもないうちに引きとめた。お作は、倉のみすぼらしい米搗《こめつき》男の娘であつた。
 思へば、彼の長い一生の過ぎ来《こ》しかたに、彼が本当に心身の慾情の満足と愛敬とを籠《こ》めた恍惚《こうこつ》にひたすらひざまついた女性は一人としてなかつた。宗右衛門は悲しかつた。彼の長い一生に一度も生きた女性に費《ついや》さなかつた恋の魅惑を、この老来の而《しか》も斯《こ》うした悲惨な境遇の今、手にもとられず、声も聞き得ぬ一片の画像の女菩薩《にょぼさつ》に徴されようとは。
(これも何かの業因からかな)
 宗右衛門は眼を閉ぢて、なほ深々と、くらやみのなかへうづくまつた。

 その時以来、宗右衛門は、なるたけ女菩薩の前を通るまいとした。が、一日に二度や三度は必ず通らなければ、宗右衛門のこの寺|棲《ずま》ひの自由は絶対に取り上げられてしまふのであつた。で、宗右衛門は窮屈に面《おもて》をそむけるか、瞑目《めいもく》するかして必ずその前を通ることに極《き》めた。そのうちにはまた、あの不思議な恍惚《こうこつ》を知らなかつた以前のやうに虚心平気で只《ただ》の壁画に対する気持ちに立ち返ることが出来るであらうと単純に考へた。いそいそとして宗右衛門はそれを励行して五日たち、七日たつて行つた。そして十日から半月と――が、駄目《だめ》だつた。
 といつても、始め一寸《ちょっと》した時期のあひだ宗右衛門は、それが成功したと思つた。こんな工合《ぐあ》ひなら五日も経《た》てば容易《たやす》く何ともなくなるだらうと思つた。次には閉ぢてゐた眼をやや細めに開けた。と、画像の裾《すそ》の線がぼやけて、二三|寸《すん》見えたばかりで宗右衛門の胸はいくらかときめいた[#「ときめいた」に傍点]。まだいけないと思つてあはてゝ宗右衛門は眼を閉ぢた。だが、ときめきだけが胸に残つて、いくら眼を閉ぢても無駄《むだ》になつた。今度は納所《なっしょ》部屋の角を曲ると直ぐ宗右衛門は横を向いた。その上にまたかたく眼を閉ぢた。しかし、矢張りいけない。彼が壁画の前にさしかゝるや遂《つい》に彼は女菩薩《にょぼさつ》の頬《ほお》を感じ初めた。追々、眉《まゆ》を、唇を、鼻を、額《ひたい》を、丸くなだらかな肩の線を、魅惑を湛《たた》へた着物のひだ[#「ひだ」に傍点]を――そして彼の胸は、浅ましくかき乱れて行くばかりであつた。或る日彼が企《くわだ》てた冒険は、たゞ成功しなかつたばかりでなく、殆《ほとん》ど彼を無援の谷に打ち込んだ。
 彼は寺の掃除|婆《ばば》に命じて、画像の前の窓障子《まどしょうじ》をすつかり解放させ、四方を清浄に掃除させて置いた。彼は自分の身をもよく冷水で拭《ふ》き清めた。そしてわざ/\自宅から取り寄せた新らしい肌着を着済ました。
 かげろふも立ち添ふ暖かく晴れた冬の日の正午過であつた。彼は、はつきりと眼を見開いて静《しずか》に女菩薩画像に近づいた。
(はつきり見よ。白日の明光の中にはつきり見て迷夢を醒《さ》ませよ)
 彼は自分の心に厳しく命じた。しん、とした此《こ》の光線の落ち著《つ》きのなかに、穏やかに明るく画像は彼の前に展けた。彼はその前面二尺ばかりに歩を止めて、おもむろに画像を見上げ見下ろした。
 案外な心安さ、そして、爽《さわ》やかな微風が、面《おもて》を払つて、胸も広々と感ずるかと思へた。――二分、三分、五分……と、宗右衛門はかすかな身悶《みもだ》えと共に、壁画の前へ俯伏《うつぶ》してしまつた。彼の体中の精力が、あらゆる快感と恐怖とを伴なつて、何物にか強く引き絞られ、何処《どこ》かへ発散して行くと同時に、壁画は、一層、白昼の大胆な凜々《りり》しさと艶《なま》めきとの魅惑を拡大して、宗右衛門の眉間《みけん》に迫つて来たのであつた。

 それ以来、二三日彼は、胸苦しい熱情にさいなまれて、ろく/\喰べも眠りもしなかつた。そしてそれが漸《ようや》く遠ざかつて行くと彼は腑脱《ふぬ》けのやうになつて行つた。彼は空《から》念仏を唱へながら、滅多《めった》に彼の部屋の外へ出ないため、俄《にわ》かに彼の部屋専用に付けさせた便所へ出入りするやうになつた。部屋では、大方黙りこくつて炉へ炭をくべてゐた。店から帳簿を持つて来る者にも、めつきりうるささうな様子を見せるやうになつた。
 老師の部屋へも彼は殆《ほとん》ど行かなくなつた。老師は却《かえ》つて時々、彼の容子《ようす》を怪《あやし》んで見舞つて来た。が、彼は言葉すくなに炉へ炭をくべてゐた。彼の最近の一つの恥に就いては、どうあつても彼は老師に話せなかつた。彼は老師に逢《あ》つて「打ち明けられぬ負担」を漸く感じ出した。
 その負担をのがれる為めと、やゝもすれば身辺に近づいて来る画像の誘惑から遠ざかる為めと、もひとつ彼の思ひつきの為めに彼は翌年の春の初《はじめ》、寺のうしろの畑地の隅に居を移した。家からも老夫婦の飯炊きを呼んだ。畑地は宗右衛門の所有地であつた。おびたゞしい牡丹《ぼたん》の根を諸方から彼は集めた。遠方から植木師が来て泊り込み、村の百姓を代る代る手伝ひに雇つた。初夏となつて畑一ぱいに牡丹の花が咲き盛つた。村の者や、めつたに動じない老師まで眼を見張つた。宗右衛門の苦渋の底から微笑が浮んだ。彼は誰にともなく呟《つぶや》いた。
「仏様へ御供養《ごくよう》でございますぞい」
 彼は、この上、やがて何事かの業因になるとも知れぬ我が家産を、斯《こ》んなにして散じて行くのにも幾らかの安心を持つた。
 寺の周囲の他人の所有地が、次へ次へと驚くべき高価で宗右衛門に買ひ移されて行つた。
 藤《ふじ》、あやめ、菊、蓮《はす》。桜も楓《かえで》も桃も、次ぎ次ぎに季節々々の盛りを見せた。寺の周囲を見事、極楽画の一部に象《かたど》り、結構華麗に仕立て上げた。けれども宗右衛門の心は矢張り慰まなかつた。否、むしろ追々|荒《すさ》んで行くのであつた。折角《せっかく》、精出して仕立てた英《はなぶさ》を片はしからむしつて歩く日もあつた。隠居所の扉を閉め切つて、外の景色に眼をふれまいとするやうな日もあつた。人々は寺の周囲の勝景をよろこんだ。が、それと同時に、宗右衛門の狂気の沙汰《さた》を愈々《いよいよ》、噂《うわさ》に高めた。
 三年目の年が明けて、梅もぽつ/\咲き初めた頃、添田家縁者一統の総代が、泰松寺へ出頭して、宗右衛門の家事不取締りから、使用人の怠慢、家業|破綻《はたん》の条々を縷述《るじゅつ》し、その上、娘お小夜の急病を報じて宗右衛門の自宅へ復帰することを老師に願ひ出《い》でた。それは丁度宗右衛門が、荒廃と疲労の極度に達した自分の最後の処置を老師の前に哀訴したと殆ど同時であつた。もちろん家に残した娘達への回避の念、物質本位の家業に対する倦厭《けんえん》の情は、いつもの通りくりかへして述べられた。たゞ、壁画に就《つい》ての羞恥《しゅうち》ばかりは始めて老師の聞くところであつた。彼はそれを打ち明ける辛《つら》さを敢《あえ》てするまで、老師への哀訴の情が、切迫してしまつたのである。老師は、両方の縷述と哀訴を懇切に聴き取つた。そして、今後一切を、自分の指図のもとに取り行ふやうかたく双方ともに約束させた。
「現実を回避せず、あくまでもそれに直面して人生の本然を味得すること。本当に生きる強味は其処《そこ》から出る」
 これを判り易《やす》く飜訳《ほんやく》して老師は宗右衛門に会得《えとく》させた。その具体的な手段として宗右衛門の居室は寺の花畑から不具の娘達の直ぐ傍に移された。気儘《きまま》な妄想を払つて不具に直面し、不具の実在性を確《し》つかり見詰めよといふのであつた。
「欲望を正当に生かすこと」
 これを判り易く飜訳して、添田家親類一統へ説き聞かせた。即刻、宗右衛門に適当な後妻を、あらゆる方面へ彼自身にも親類一統へも物色させた。
「個性の使命をはたすこと、自身の力量に適応した家業に、善悪貴賤の差別なし」
 これを宗右衛門にあてはめる以上、彼は急ぎ家業に復帰しなければならないのであつた。
 その年の初夏、宗右衛門は新らしくめとつた後妻と、不具の娘二人を連れて或る有名な遠国の温泉へ行つた。一ヶ月以上の滞在で彼の健康も、病後のお小夜の健康も、ずつと立ち戻つた。
 彼は再び家業に就《つ》いた。家運は見る見る旧に戻つた。寺の花園は四季年々咲いた。或年の初夏、牡丹《ぼたん》が特別に見事な盛りを見せた年であつた。添田家の花宴が其処《そこ》で催された。引きめぐらした幔幕《まんまく》の内、正面には泰松寺の老師、宗右衛門自身の左右には不具の娘が美装して二人並び、ずつと下つて上品な年増盛りの彼の後妻がつゝましく座つた。そのほか親類一統、大勢の村民達も招かれた。
 たゞ宗右衛門は、以前よりずつと沈黙になり、そして痩《や》せた――それは彼が老来の衰へを示すものではなかつた。引きしまつた彼の上皮の下には、生き生きとして落ち付いた力が寂しく光つてゐるのであつた。
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(後記)
王朝時代の末期になつて、文化の爛熟《らんじゅく》による人間の官能と情感がいやが上にも発達し、現実的には高度の美意識による肉的なものを追ひ求める一方、歓楽極まつて哀愁生ずる譬《たと》へ通り、人々、省己嫌厭の不安から崇高な求道の志を反比例に募らせる。この二つの欲求の調和に応ずべく、仏教にもいろ/\の変貌《へんぼう》を来たしたが、中にも、肉感的美欲を充足させつゝ、それを通して魂の永遠の落付きどころを覗《のぞ》かせるには、感覚的な対象となる宗教的器具設備が最も時機相応であつた。
なま/\しき絶世の美人であつて、而《しか》も無限性を牽出《ひきだ》すもの、こゝに吉祥天《きちじょうてん》、伎芸天《ぎげいてん》、弁財天《べんざいてん》などゝいふ天女型の図像が仏|菩薩《ぼさつ》像流行を奪つて製作され、中の幾つかゞ今日に残り、人間性の如何《いか》に矛盾《むじゅん》であり、また合致総和である意味深いものであるかを考へさせるのであるが、泰松寺にある宗右衛門の見た女菩薩は、身慥《みごしら》へや身構へは菩薩に違ひないが、画図の目的はまさしく前述の時代の天女型に系図をひく古画であらう。
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底本:「日本幻想文学集成10 岡本かの子」国書刊行会
   1992(平成4)年1月23日初版第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集」冬樹社
   1974(昭和49)年発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※ルビを新仮名遣いとする扱いは、底本通りにしました。
入力:門田裕志
校正:湯地光弘
2005年2月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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