永井荷風

深川の唄—– 永井荷風

 四谷見付《よつやみつけ》から築地両国行《つきじりょうごくゆき》の電車に乗った。別に何処《どこ》へ行くという当《あて》もない。船でも車でも、動いているものに乗って、身体《からだ》を揺《ゆす》られるのが、自分には一種の快感を起させるからで。これは紐育《ニューヨーク》の高架鉄道、巴里《パリー》の乗合馬車の屋根裏、セエヌの河船《かわぶね》なぞで、何時《いつ》とはなしに妙な習慣になってしまった。
 いい天気である。あたたかい。風も吹かない。十二月も早や二十日過ぎなので、電車の馳《は》せ行く麹町《こうじまち》の大通りには、松竹《まつたけ》の注目飾《しめかざ》り、鬼灯提灯《ほおずきちょうちん》、引幕《ひきまく》、高張《たかはり》、幟《のぼり》や旗のさまざまが、汚《よご》れた瓦《かわら》屋根と、新築した家の生々《なまなま》しい木の板とに対照して、少しの調和もない混乱をば、なお更無残に、三時過ぎの日光《ひかげ》が斜めに眩《まぶ》しく照《てら》している。調子の合わない広告の楽隊が彼方《かなた》此方《こなた》から騒々しく囃《はや》し立てている。人通りは随分|烈《はげ》しい。
 けれども、電車の中は案外すいていて、黄《きいろ》い軍服をつけた大尉《たいい》らしい軍人が一人、片隅《かたすみ》に小さくなって兵卒が二人、折革包《おりかばん》を膝《ひざ》にして請負師風《うけおいしふう》の男が一人、掛取《かけと》りらしい商人《あきんど》が三人、女学生が二人、それに新宿《しんじゅく》か四《よ》ツ谷《や》の婆芸者《ばばあげいしゃ》らしい女が一人乗っているばかりであった。日の光が斜めに窓からさし込むので、それを真面《まとも》に受けた大尉の垢《あか》じみた横顔には剃《そ》らない無性髯《ぶしょうひげ》が一本々々針のように光っている。女学生のでこでこした庇髪《ひさしがみ》が赤ちゃけて、油についた塵《ごみ》が二目《ふため》と見られぬほどきたならしい。一同黙っていずれも唇を半開きにしたまま遣《や》り場《ば》のない目で互《たがい》に顔を見合わしている。伏目《ふしめ》になって、いろいろの下駄《げた》や靴の先が並んだ乗客の足元を見ているものもある。何万円とか書いた福引の広告ももう一向《いっこう》に人の視線を引かぬらしい。婆芸者が土色した薄《うすっ》ぺらな唇を捩《ね》じ曲げてチュウッチュウッと音高く虫歯を吸う。請負師が大叭《おおあくび》の後でウーイと一ツ※[#「口+愛」、第3水準1-15-23]《おくび》をする。車掌が身体《からだ》を折れるほどに反《そら》して時々はずれる後《うしろ》の綱をば引き直している。
 麹町の三丁目で、ぶら提灯《ぢょうちん》と大きな白木綿《しろもめん》の風呂敷包《ふろしきづつみ》を持ち、ねんねこ[#「ねんねこ」に傍点]半纏《ばんてん》で赤児《あかご》を負《おぶ》った四十ばかりの醜い女房と、ベエスボオルの道具を携えた少年が二人乗った。少年が夢中で昨日済んだ学期試験の成績を話し出す。突然けたたましく泣き出す赤児の声に婆芸者の歯を吸う響《ひびき》ももう聞えなくなった。乗客は皆《みん》な泣く子の顔を見ている。女房はねんねこ[#「ねんねこ」に傍点]半纏の紐《ひも》をといて赤児を抱き下し、渋紙《しぶかみ》のような肌をば平気で、襟垢《えりあか》だらけの襟を割って乳房を含ませる。赤児がやっとの事泣き止《や》んだかと思うと、車掌が、「半蔵門《はんぞうもん》、半蔵門でございます。九段《くだん》、市《いち》ヶ|谷《や》、本郷《ほんごう》、神田《かんだ》、小石川《こいしかわ》方面のお方《かた》はお乗換え――あなた小石川はお乗換ですよ。お早く願います。」と注意されて女房は真黒《まっくろ》な乳房をぶらぶら、片手に赤児片手に提灯と風呂敷包みを抱え込み、周章《あわ》てふためいて降り掛ける。その入口からは、待っていた乗客が案外にすいている車と見るやなお更に先きを争い、出ようとする女房を押しかえして、われがちに座を占める。赤児がヒーヒー喚《わめ》き立てる。おしめ[#「おしめ」に傍点]が滑り落ちる。乗客が構わずそれをば踏み付けて行こうとするので、此度《こんど》は女房が死物狂《しにものぐる》いに叫び出した。口癖になった車掌は黄《きいろ》い声で、
「お忘れものの御在《ござ》いませんように。」と注意したが、見るから汚いおしめ[#「おしめ」に傍点]の有様。といって黙って打捨てても置かれず、詮方《せんかた》なしに「おあぶのう御在いますから、御ゆるり願います。」
 漸《ようや》くにして、チインと引く鈴の音。
「動きます。」
 車掌の声に電車ががたりと動くや否や、席を取りそこねて立っていた半白《はんぱく》の婆《ばばあ》に、その娘らしい十八、九の銀杏返《いちょうがえ》し前垂掛《まえだれが》けの女が、二人一度に揃《そろ》って倒れかけそうにして危くも釣革《つりかわ》に取りすがった。同時に、
「あいたッ。」と足を踏まれて叫んだものがある。半纏股引《はんてんももひき》の職人である。
「まア、どうぞ御免なすって……。」と銀杏返は顔を真赤《まっか》に腰をかがめて会釈しようとすると、電車の動揺でまたよろけ掛ける。
「ああ、こわい。」
「おかけなさい。姉さん。」
 薄髯《うすひげ》の二重廻《にじゅうまわし》が殊勝《しゅしょう》らしく席を譲った。
「どうもありがとう……。」
 しかし腰をかけたのは母らしい半白の婆であった。若い女は丈伸《せのび》をするほど手を延ばして吊革《つりかわ》を握締《にぎりし》める。その袖口《そでぐち》からどうかすると脇の下まで見え透《す》きそうになるのを、頻《しきり》と気にして絶えず片手でメレンスの襦袢《じゅばん》の袖口を押えている。車はゆるやかな坂道をば静かに心地よく馳《は》せ下りて行く。突然足を踏まれた先刻《さっき》の職人が鼾声《いびき》をかき出す。誰れかが『報知新聞』の雑報を音読し初めた。
 三宅坂《みやけざか》の停留場は何の混雑もなく過ぎて、車は瘤《こぶ》だらけに枯れた柳の並木の下をば土手に沿うて走る。往来《おうらい》の右側、いつでも夏らしく繁《しげ》った老樹の下に、三、四台の荷車が休んでいる。二頭|立《だて》の箱馬車が電車を追抜けて行った。左側は車の窓から濠《ほり》の景色が絵のように見える。石垣と松の繁《しげ》りを頂いた高い土手が、出たり這入《はい》ったりして、その傾斜のやがて静かに水に接する処、日の光に照らされた岸の曲線は見渡すかぎり、驚くほど鮮《あざや》かに強く引立って見えた。青く濁った水の面《おもて》は鏡の如く両岸の土手を蔽《おお》う雑草をはじめ、柳の細い枝も一条《ひとすじ》残さず、高い空の浮雲までをそのままはっきりと映している。それをば土手に群《むらが》る水鳥が幾羽となく飛入っては絶えず、羽ばたきの水沫《しぶき》に動《うごか》し砕く。岸に沿うて電車がまがった。濠の水は一層広く一層静かに望まれ、その端《はず》れに立っている桜田門《さくらだもん》の真白《まっしろ》な壁が夕方前のやや濁った日の光に薄く色づいたままいずれが影いずれが実在の物とも見分けられぬほど鮮かに水の面に映っている。間《ま》もなく日比谷《ひびや》の公園外を通る。電車は広い大通りを越して向側《むこうがわ》のやや狭い街の角に止まるのを待ちきれず二、三人の男が飛び下りた。
「止《とま》りましてからお降り下さい。」と車掌のいうより先に一人が早くも転んでしまった。無論大した怪我《けが》ではないと合点して、車掌は見向きもせず、曲り角の大厄難、後《うしろ》の綱のはずれかかるのを一生懸命に引直《ひきなお》す。車は八重《やえ》に重《かさな》る線路の上をガタガタと行悩んで、定めの停留場に着くと、其処《そこ》に待っている一団の群集。中には大きな荷物を脊負った商人も二、三人|交《まじ》っていた。
 例の上《あが》り降りの混雑。車掌は声を黄《きいろ》くして、
「どうぞ中の方へ願います。あなた、恐入りますが、もう少々|最《もう》一《ひと》ツ先きの釣革に願います。込み合いますから御懐中物を御用心。動きます。ただ今お乗り換えの方は切符を拝見致します。次は数寄屋橋《すきやばし》、お乗換《のりかえ》の方《かた》は御在いませんか。」
「ありますよ。ちょいと、乗りかえ。本所《ほんじょ》は乗り換えじゃないんですか。」髪を切り下げにした隠居風の老婆《ろうば》が逸早《いちはや》く叫んだ。
 けれども車掌は片隅から一人々々に切符を切《きっ》て行く忙《せわ》しさ。「往復で御在いますか。十銭《じっせん》銀貨で一銭のお釣で御在います。お乗換は御在いませんか。」
「乗換ですよ。ちょいと。」本所行の老婆は首でも絞められるように、もう金切声《かなきりごえ》になっている。
「おい、回数券だ、三十回……。」
 鳥打帽《とりうちぼう》に双子縞《ふたこじま》の尻端折《しりはしおり》、下には長い毛糸の靴足袋《くつたび》に編上げ靴を穿《は》いた自転車屋の手代《てだい》とでもいいそうな男が、一円|紙幣《さつ》二枚を車掌に渡した。車掌は受取ったなり向うを見て、狼狽《あわ》てて出て行き数寄屋橋へ停車の先触《さきぶ》れをする。尾張町《おわりちょう》まで来ても回数券を持って来ぬので、今度は老婆の代りに心配しだしたのはこの手代で。しかしさすがに声はかけず、鋭い眼付《めつき》で瞬《またた》き一ツせず車掌の姿に注目していた。車の硝子窓《ガラスまど》から、印度や南清《なんしん》の殖民地《しょくみんち》で見るような質素な実利的な西洋館が街の両側に続いて見え出した。車の音が俄《にわ》かに激しい。調子の合わない楽隊が再び聞える。乃《すなわ》ち銀座の大通《おおどおり》を横切るのである。乗客の中には三人|連《づれ》の草鞋《わらじ》ばき菅笠《すげがさ》の田舎ものまで交《まじ》って、また一層の大混雑《おおこんざつ》。後《うしろ》の降り口の方《ほう》には乗客が息もつけないほどに押合い今にも撲《なぐ》り合いの喧嘩《けんか》でも始めそうにいい罵《ののし》っている。
「込み合いますから、どうぞお二側《ふたかわ》に願います。」
 釣革をば一ツ残らずいろいろの手が引張っている。指環《ゆびわ》の輝くやさしい白い手の隣りには馬蹄《ひづめ》のように厚い母指《おやゆび》の爪が聳《そび》えている。垢《あか》だらけの綿《めん》ネルシャツの袖口《そでぐち》は金ボタンのカフスと相《あい》接した。乗換切符の要求、田舎ものの狼狽《ろうばい》。車の中は頭痛のするほど騒《さわが》しい中に、いつか下町《したまち》の優しい女の話声も交るようになった。
 木挽町《こびきちょう》の河岸《かし》へ止った時、混雑にまぎれて乗り逃げしかけたものがあるとかいうので、車掌が向うの露地口《ろじぐち》まで、中折帽《なかおれぼう》に提革包《さげかばん》の男を追いかけて行った。後《あと》からつづいて停車した電車の車掌までが加勢に出かけて、往来際《おうらいぎわ》には直様《すぐさま》物見高い見物人が寄り集った。
 車の中から席を去って出口まで見に行くものもある。「けちけちするない――早く出さねえか――正直に銭《ぜに》を払ってる此輩《こちとら》アいい迷惑だ。」と叫ぶものもある。
 不時の停車を幸いに、後《おく》れ走《ば》せにかけつけた二、三人が、あわてて乗込んだ。その最後の一人は、一時に車中の目を引いたほどの美人で、赤いてがらをかけた年は二十二、三の丸髷《まるまげ》である。オリブ色の吾妻《あずま》コオトの袂《たもと》のふり[#「ふり」に傍点]から二枚重《にまいがさね》の紅裏《もみうら》を揃《そろ》わせ、片手に進物《しんもつ》の菓子折ででもあるらしい絞りの福紗包《ふくさづつみ》を持ち、出口に近い釣革へつかまると、その下の腰掛から、
「あら、よし子さんじゃいらッしゃいませんか。」と同じ年頃《としごろ》、同じような風俗《みなり》の同じような丸髷が声をかけた。
「あら、まア……。」と立っている丸髷はいかにもこの奇遇に驚いたらしく言葉をきる。
「五年ぶり……もっとになるかも知れませんわね。よし子さん。」
「ほんとに……あの、藤村《ふじむら》さんの御宅《おたく》で校友会のあったあの時お目にかかったきりでしたねえ。」
 電車がやっと動き始めた。
「よし子さん、おかけ遊ばせよ、かかりますよ。」と下なる丸髷は、かなりに窮屈らしく詰まっている腰掛をグット左の方へ押しつめた。
 押詰められて、じじむさい襟巻《えりまき》した金貸らしい爺《おやじ》が不満らしく横目に睨《にら》みかえしたが、真白《まっしろ》な女の襟元に、文句はいえず、押し敷かれた古臭い二重廻《にじゅうまわ》しの翼《はね》を、だいじそうに引取りながら、順送りに席を居《い》ざった。赤いてがら[#「てがら」に傍点]は腰をかけ、両袖《りょうそで》と福紗包《ふくさづつみ》を膝《ひざ》の上にのせて、
「校友会はどうしちまったんでしょう、この頃はさっぱり会費も取りに来ないんですよ。」
「藤村さんも、おいそがしいんですよ、きっと。何しろ、あれだけのお店ですからね。」
「お宅さまでは皆さまおかわりも……。」
「は、ありがとう。」
「どちらまでいらッしゃいますの、私はもう、すぐそこで下りますの。」
「新富町《しんとみちょう》ですか。わたくしは……。」
 いいかけた処へ車掌が順送りに賃銭を取りに来た。赤いてがらの細君は帯の間から塩瀬《しおぜ》の小《ちいさ》い紙入《かみいれ》を出して、あざやかな発音で静かに、
「のりかえ、ふかがわ。」
「茅場町《かやばちょう》でおのりかえ。」と車掌が地方訛《いなかなま》りで蛇足《だそく》を加えた。
 真直《まっすぐ》な往来《おうらい》の両側には、意気な格子戸《こうしど》、板塀《いたべい》つづき、磨《すり》がらすの軒燈《けんとう》さてはまた霜よけした松の枝越し、二階の欄干《てすり》に黄八丈《きはちじょう》に手拭地《てぬぐいじ》の浴衣《ゆかた》をかさねた褞袍《どてら》を干した家もある。行書で太く書いた「鳥」「蒲焼《かばやき》」なぞの行燈《あんどう》があちらこちらに見える。忽《たちま》ち左右がぱッと明《あかる》く開けて電車は一条《ひとすじ》の橋へと登りかけた。
 左の方に同じような木造の橋が浮いている。見下《みおろ》すと河岸《かし》の石垣は直線に伸びてやがて正しい角度に曲っている。池かと思うほど静止した堀割《ほりわり》の水は河岸通《かしどおり》に続く格子戸づくりの二階家から、正面に見える古風な忍返《しのびがえし》をつけた黒板塀の影までをはっきり映している。丁度|汐時《しおどき》であろう。泊っている荷舟《にぶね》の苫屋根《とまやね》が往来よりも高く持上って、物を煮る青い煙が風のない空中へと真直《まっすぐ》に立昇っている。鯉口半纏《こいぐちばんてん》に向鉢巻《むこうはちまき》の女房が舷《ふなばた》から子供のおかわ[#「おかわ」に傍点]を洗っている。橋の向角《むこうかど》には「かしぶね」とした真白な新しい行燈と葭簀《よしず》を片寄せた店先の障子《しょうじ》が見え、石垣の下には舟板を一枚残らず綺麗《きれい》に組み並べた釣舟が四、五|艘《そう》浮いている。人通りは殆《ほとん》どない、もう四時過ぎたかも知れない。傾いた日輪をば眩《まぶ》しくもなく正面《まとも》に見詰める事が出来る。この黄味《きいろみ》の強い赤い夕陽《ゆうひ》の光に照りつけられて、見渡す人家、堀割、石垣、凡《すべ》ての物の側面は、その角度を鋭く鮮明にしてはいたが、しかし日本の空気の是非なさは遠近を区別すべき些少《さしょう》の濃淡をもつけないので、堀割の眺望《ながめ》はさながら旧式の芝居の平《ひらた》い書割《かきわり》としか思われない。それが今、自分の眼にはかえって一層適切に、黙阿弥《もくあみ》、小団次《こだんじ》、菊五郎《きくごろう》らの舞台をば、遺憾なく思い返させた。あの貸舟、格子戸づくり、忍返し……。
 折もよく海鼠壁《なまこかべ》の芝居小屋を過ぎる。しかるに車掌が何事ぞ、
「スントミ町。」と発音した。
 丸髷の一人は席を立って、「それじゃ、御免ください、どうぞお宅へよろしく。」
「ちッと、おひまの時いらしッて下さい。さよなら。」
 電車は桜橋《さくらばし》を渡った。堀割は以前のよりもずッと広く、荷船の往来《ゆきき》も忙《せわ》しく見えたが、道路は建て込んだ小家と小売店《こうりみせ》の松かざりに、築地《つきじ》の通りよりも狭く貧しげに見え、人が何《なん》という事もなく入り乱れて、ぞろぞろ歩いている。坂本《さかもと》公園前に停車すると、それなり如何《いか》ほど待っていても更に出発する様子はない。後《あと》にも先にも電車が止っている。運転手も車掌もいつの間にやら何処《どこ》へか行ってしまった。
「また喰《くら》ったんだ。停電にちげえねえ。」
 糸織《いとおり》の羽織に雪駄《せった》ばきの商人が臘虎《らっこ》の襟巻《えりまき》した赧《あか》ら顔の連れなる爺《じじい》を顧みた。萌黄《もえぎ》の小包を首にかけた小僧が逸早《いちはや》く飛出して、「やア、電車の行列だ。先の見えねえほど続いてらア。」と叫ぶ。
 車掌が革包《かばん》を小脇に押えながら、帽子を阿弥陀《あみだ》に汗をふきふき駈《か》け戻って来て、「お気の毒様ですがお乗りかえの方はお降りを願います。」
 声を聞くと共に乗客の大半は一度に席を立った。その中には唇を尖《とが》らして、「どうしたんだ。よっぽどひまが掛《かか》るのか。」
「相《あい》済みません、この通りで御在います。茅場町《かやばちょう》までつづいておりますから……。」
 菓子折らしい福紗包《ふくさづつみ》を携えた彼《か》の丸髷《まるまげ》の美人が車を下りた最後の乗客であった。

 自分は既に述べたよう何処《どこ》へも行く当てはない。大勢が下車するその場の騒ぎに引入れられて何心《なにごころ》もなく席を立ったが、すると車掌は自分が要求もせぬのに深川行《ふかがわゆき》の乗換《のりかえ》切符を渡してくれた。
 人家の屋根に日を遮《さえぎ》られた往来《おうらい》には海老色《えびいろ》に塗《ぬ》り立てた電車が二、三|町《ちょう》も長く続いている。茅場町《かやばちょう》の通りから斜めにさし込んで来る日光《ひかげ》で、向角《むこうかど》に高く低く不揃《ふぞろい》に立っている幾棟《いくむね》の西洋造りが、屋根と窓ばかりで何一ツ彫刻の装飾をも施さぬ結果であろう。如何《いか》にも貧相に厚みも重みもない物置小屋のように見えた。往来の上に縦横の網目を張っている電線が透明な冬の空の眺望を目まぐるしく妨げている。昨日あたり山から伐出《きりだ》して来たといわぬばかりの生々《なまなま》しい丸太の電柱が、どうかすると向うの見えぬほど遠慮会釈もなく突立っている。その上に意匠の技術を無視した色のわるいペンキ塗の広告がベタベタ貼《は》ってある。竹の葉の汚《きたな》らしく枯れた松飾りの間からは、家の軒《のき》ごとに各自勝手の幟《のぼり》や旗が出してあるのが、いずれも紫とか赤とかいう極めて単純な色ばかりを択《えら》んでいる。
 自分は憤然として昔の深川を思返した。幸い乗換の切符は手の中《うち》にある。自分は浅間《あさま》しいこの都会の中心から一飛びに深川へ行こう――深川へ逃げて行こうという押えられぬ欲望に迫《せ》められた。
 数年前まで、自分が日本を去るまで、水の深川は久しい間、あらゆる自分の趣味、恍惚《こうこつ》、悲しみ、悦《よろこ》びの感激を満足させてくれた処であった。電車はまだ布設されていなかったが既にその頃《ころ》から、東京市街の美観は散々に破壊されていた中で、河を越した彼《か》の場末の一劃ばかりがわずかに淋《さび》しく悲しい裏町の眺望《ながめ》の中《うち》に、衰残と零落とのいい尽《つく》し得ぬ純粋一致調和の美を味《あじわ》わしてくれたのである。
 その頃、繁華な市中からこの深川へ来るには電車の便はなし、人力車《じんりきしゃ》は賃銭《ちんせん》の高いばかりか何年間とも知れず永代橋《えいたいばし》の橋普請《はしぶしん》で、近所の往来は竹矢来《たけやらい》で狭《せば》められ、小石や砂利で車の通れぬほど荒らされていた処から、誰《た》れも彼れも、皆|汐溜《しおどめ》から出て三十間堀《さんじっけんぼり》の堀割を通って来る小さな石油の蒸汽船、もしくは、南八丁堀《みなみはっちょうぼり》の河岸縁《かしぶち》に、「出ますよ出ますよ」と呼びながら一向出発せずに豆腐屋のような鈴ばかり鳴《なら》し立てている櫓舟《ろぶね》に乗り、石川島《いしかわじま》を向うに望んで越前堀《えちぜんぼり》に添い、やがて、引汐《ひきしお》上汐《あげしお》の波にゆられながら、印度洋でも横断するようにやっとの事で永代橋の河下《かわしも》を横ぎり、越中島《えっちゅうじま》から蛤町《はまぐりちょう》の堀割に這入《はい》るのであった。不動様のお三日《さんにち》という午過《ひるす》ぎなぞ参詣戻りの人々が筑波根《つくばね》、繭玉《まゆだま》、成田山《なりたさん》の提灯《ちょうちん》、泥細工《つちざいく》の住吉踊《すみよしおどり》の人形なぞ、さまざまな玩具《おもちゃ》を手にさげたその中には根下《ねさが》りの銀杏返《いちょうがえ》しや印半纏《しるしばんてん》の頭《かしら》なども交《まじ》っていて、幾艘《いくそう》の早舟《はやぶね》は櫓《ろ》の音を揃《そろ》え、碇泊《ていはく》した荷舟《にぶね》の間をば声を掛け合い、静《しずか》な潮《うしお》に従って流れて行く。水にうつる人々の衣服や玩具や提灯の色、それをば諸車止《しょしゃどめ》と高札《こうさつ》打ったる朽ちた木の橋から欄干《らんかん》に凭《もた》れて眺め送る心地の如何《いか》に絵画的であったろう。
 夏中|洲崎《すさき》の遊廓《ゆうかく》に、燈籠《とうろう》の催しのあった時分《じぶん》、夜おそく舟で通《かよ》った景色をも、自分は一生忘れまい。苫《とま》のかげから漏れる鈍い火影《ほかげ》が、酒に酔《え》って喧嘩《けんか》している裸体《はだか》の船頭を照す。川添いの小家《こいえ》の裏窓から、いやらしい姿をした女が、文身《ほりもの》した裸体《はだか》の男と酒を呑《の》んでいるのが見える。水門《すいもん》の忍返《しのびがえ》しから老木《おいき》の松が水の上に枝を延《のば》した庭構え、燈影《ほかげ》しずかな料理屋の二階から芸者《げいしゃ》の歌う唄《うた》が聞える。月が出る。倉庫の屋根のかげになって、片側は真暗《まっくら》な河岸縁《かしぶち》を新内《しんない》のながしが通る。水の光で明《あかる》く見える板橋の上を提灯つけた車が走る。それらの景色をばいい知れず美しく悲しく感じて、満腔《まんこう》の詩情を托したその頃の自分は若いものであった。煩悶《はんもん》を知らなかった。江戸趣味の恍惚《こうこつ》のみに満足して、心は実に平和であった。硯友社《けんゆうしゃ》の芸術を立派なもの、新しいものだと思っていた。近松《ちかまつ》や西鶴《さいかく》が残した文章で、如何なる感情の激動をもいい尽《つく》し得るものと安心していた。音波《おんぱ》の動揺、色彩の濃淡、空気の軽重《けいちょう》、そんな事は少しも自分の神経を刺戟《しげき》しなかった。そんな事は芸術の範囲に入《い》るべきものとは少しも予想しなかった。日本は永久自分の住む処、日本語は永久自分の感情を自由にいい現《あらわ》してくれるものだと信じて疑わなかった。
 自分は今、髯《ひげ》をはやし、洋服を着ている。電気鉄道に乗って、鉄で出来た永代橋を渡るのだ。時代の激変をどうして感ぜずにいられよう。
 夕陽《ゆうひ》は荷舟や檣《ほばしら》の輻輳《ふくそう》している越前堀からずっと遠くの方《ほう》をば、眩《まぶ》しく烟《けむり》のように曇らしている。影のように黒く立つ石川島の前側に、いつも幾艘となく碇泊している帆前船《ほまえせん》の横腹は、赤々と日の光に彩《いろど》られた。橋の下から湧《わ》き昇る石炭の煙が、時々は先の見えぬほど、橋の上に立ち迷う。これだけは以前に変らぬ眺めであったが、自分の眼は忽《たちま》ち佃島《つくだじま》の彼方《かなた》から深川へとかけられた一条《ひとすじ》の長い橋の姿に驚かされた。堤の上の小さい松の並木、橋の上の人影までが、はっきり絵のように見える。自分は永代橋の向岸《むこうぎし》で電車を下りた。その頃は殆《ほとん》ど門並《かどな》みに知っていた深川の大通り。角《かど》の蛤屋《はまぐりや》には意気な女房がいた。名物の煎餅屋《せんべいや》の娘はどうしたか知ら。一時|跡方《あとかた》もなく消失《きえう》せてしまった二十歳時分《はたちじぶん》の記憶を呼び返そうと、自分はきょろきょろしながら歩く。
 無論それらしい娘も女房も今は見当てられようはずはない。しかし深川の大通りは相変らず日あたりが悪く、妙にこの土地ばかり薄寒いような気がして、市中は風もなかったのに、此処《ここ》では松かざりの竹の葉がざわざわいって動いている。よく見覚えのある深川座の幟《のぼり》がたった一本|淋《さび》し気《げ》に、昔の通り、横町《よこちょう》の曲角《まがりかど》に立っていたので、自分は道路の新しく取広げられたのをも殆《ほと》んど気付かず、心は全く十年前のなつかしい昔に立返る事が出来た。
 つい名を忘れてしまった。思い出せない――一条の板橋を渡ると、やがて左へ曲る横町に幟《のぼり》の如く釣《つる》した幾筋《いくすじ》の手拭《てぬぐい》が見える。紺と黒と柿色《かきいろ》の配合が、全体に色のない場末の町とて殊更《ことさら》強く人目を牽《ひ》く。自分は深川に名高い不動の社《やしろ》であると、直様《すぐさま》思返してその方へ曲った。
 細い溝《どぶ》にかかった石橋を前にして、「内陣《ないじん》、新吉原講《しんよしわらこう》」と金字《きんじ》で書いた鉄門をはいると、真直《まっすぐ》な敷石道の左右に並ぶ休茶屋《やすみぢゃや》の暖簾《のれん》と、奉納の手拭が目覚めるばかり連続《つなが》って、その奥深く石段を上った小高い処に、本殿の屋根が夕日を受けながら黒く聳《そび》えている。参詣の人が二人三人と絶えず上《あが》り降《お》りする石段の下には易者の机や、筑波根《つくばね》売りの露店が二、三軒出ていた。そのそばに児守《こもり》や子供や人が大勢|立止《たちどま》っているので、何かと近《ちかづ》いて見ると、坊主頭の老人が木魚《もくぎょ》を叩《たた》いて阿呆陀羅経《あほだらきょう》をやっているのであった。阿呆陀羅経のとなりには塵埃《ほこり》で灰色になった頭髪《かみのけ》をぼうぼう生《はや》した盲目の男が、三味線《しゃみせん》を抱えて小さく身をかがめながら蹲踞《しゃが》んでいた。阿呆陀羅経を聞き飽きた参詣戻りの人たちが三人四人立止る砂利の上の足音を聞分けて、盲目の男は懐中《ふところ》に入れた樫《かし》のばちを取り出し、ちょっと調子をしらべる三の糸から直ぐチントンシャンと弾き出して、低い呂《リョ》の声を咽喉《のど》へと呑《の》み込んで、
 あきイ――の夜《よ》
と長く引張《ひっぱ》ったところで、つく息と共に汚い白眼《しろめ》をきょろりとさせ、仰向《あおむ》ける顔と共に首を斜めに振りながら、
 夜《よ》は――ア
と歌った。声は枯れている。三味線の一の糸には少しのさわりもない。けれども、歌出《うたいだ》しの「秋――」という節廻《ふしまわ》しから拍子の間取《まど》りが、山の手の芸者などには到底聞く事の出来ぬ正確《たしか》な歌沢節《うたざわぶし》であった。自分はなつかしいばかりでない、非常な尊敬の念を感じて、男の顔をば何んという事もなくしげしげ眺めた。
 さして年老《としと》っているというでもない。無論明治になってから生れた人であろう。自分は何の理由もなく、かの男は生れついての盲目ではないような気がした。小学校で地理とか数学とか、事によったら、以前の小学制度で、高等科に英語の初歩位学んだ事がありはしまいか。けれども、江戸伝来の趣味性は九州の足軽|風情《ふぜい》が経営した俗悪|蕪雑《ぶざつ》な「明治」と一致する事が出来ず、家産を失うと共に盲目になった。そして栄華の昔には洒落《しゃれ》半分の理想であった芸に身を助けられる哀れな境遇に落ちたのであろう。その昔、芝居茶屋の混雑、お浚《さら》いの座敷の緋毛氈《ひもうせん》、祭礼の万燈《まんどう》花笠《はながさ》に酔《え》ったその眼は永久に光を失ったばかりに、かえって浅間しい電車や電線や薄ッぺらな西洋づくりを打仰ぐ不幸を知らない。よしまた、知ったにしても、こういう江戸ッ児《こ》はわれら近代の人の如く熱烈な嫌悪《けんお》憤怒《ふんぬ》を感じまい。我れながら解《げ》せられぬ煩悶《はんもん》に苦しむような執着を持っていまい。江戸の人は早く諦《あきら》めをつけてしまう。すぐと自分で自分を冷笑する特徴をそなえているから。
 高い三の糸が頻《しき》りに響く。おとするものは――アと歌って、盲人《もうじん》は首をひょいと前につき出し顔をしかめて、
 鐘――エエばアかり――
という一番高い節廻《ふしまわし》をば枯れた自分の咽喉《のど》をよく承知して、巧《たくみ》に裏声を使って逃げてしまった。
 夕日が左手の梅林《うめばやし》から流れて盲人の横顔を照《てら》す。しゃがんだ哀れな影が如何《いか》にも薄く後《うしろ》の石垣にうつっている。石垣を築いた石の一片《いっぺん》ごとに、奉納した人の名前が赤い字で彫りつけてある。芸者、芸人、鳶者《とびのもの》、芝居の出方《でかた》、博奕打《ばくちうち》、皆近世に関係のない名ばかりである。
 自分はふと後を振向いた。梅林の奥、公園外の低い人家の屋根を越して西の大空一帯に濃い紺色の夕雲が物すごい壁のように棚曳《たなび》き、沈む夕日は生血《なまち》の滴《したた》る如くその間に燃えている。真赤《まっか》な色は驚くほど濃いが、光は弱く鈍り衰えている。自分は突然一種悲壮な感に打たれた。あの夕日の沈むところは早稲田《わせだ》の森であろうか。本郷《ほんごう》の岡であろうか。自分の身は今如何に遠く、東洋のカルチェエ・ラタンから離れているであろう。盲人は一曲終ってすぐさま、
「更《ふ》けて逢《あ》ふ夜《よ》の気苦労は――」と歌いつづける。
 自分はいつまでも、いつまでも、暮行くこの深川の夕日を浴び、迷信の霊境なる本堂の石垣の下に佇《たたず》んで、歌沢の端唄《はうた》を聴いていたいと思った。永代橋《えいたいばし》を渡って帰って行くのが堪えられぬほど辛《つら》く思われた。いっそ、明治が生んだ江戸追慕の詩人|斎藤緑雨《さいとうりょくう》の如く滅《ほろ》びてしまいたいような気がした。
 ああ、しかし、自分は遂《つい》に帰らねばなるまい。それが自分の運命だ、河を隔て堀割を越え坂を上《あが》って遠く行く、大久保《おおくぼ》の森のかげ、自分の書斎の机にはワグナアの画像の下にニイチェの詩ザラツストラの一巻が開かれたままに自分を待っている……
    明治四十一年十二月作

底本:「すみだ川・新橋夜話 他一篇」岩波文庫、岩波書店
   1987(昭和62)年9月16日第1刷発行
   2005(平成17)年11月25日第23刷発行
底本の親本:「荷風小説 二」岩波書店
   1986(昭和61)年6月発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:米田
2010年9月5日作成
2011年4月2日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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